泉ヶ岳のヒザ川の沢登り…(^o^)
【日 程】2014.8/24(日) 【天 候】晴
【行 程】8:05泉ヶ岳登山口~8:15黒鼻山登山口~ヒザ川~10:00水神10:20~11:35熊笹平~11:45昼食12:40~2:50泉ヶ岳~滑空コース~大壁~13:30見返平~14:25泉ヶ岳登山口
【メンバー】 マロ7、おっ家内 計2名
8月も終わろうとしているのにまだお山に行ってなかった。いや、天気も恵まれなかったし、所要もぶつかって行けなかったのだ。
土曜日は倉庫の片付け、不要となってしまったハーベスタ(自走脱穀機)、もらい手ができたので嫁に出した。
15年くらい使っただろうか、チョツピリ寂しい自分と、倉庫の風通しが良くなって気分がすぐれたおっ家内がいた(^o^)
さて、日曜日の朝は久々の私の青空。畑仕事があるからと早く帰宅したいおっ家内の意見を取り入れて近場へ。
ここは冬場が来れないから夏場にと思っていたところ。勿論、マロ子は置いてけぼり…(^^)
残雪期に黒鼻山からヒザ川を渡渉した時、水神でヒザ川を渡渉した時、袖泉の尾根を降りたとき、そして熊笹平でここから水神まで行けるのでは…と欲望が生まれた時がありました。(^o^)
さほど、危険な場所はないだろうと、おっ家内3回目の沢はヒザ川の遡上に決めたのです。
さて、泉ヶ岳から北泉に至り、長倉尾根を越えて三峰山、蛇ヶ岳に至るコースは意外と歴史が浅い。
その昔に、船形山へ至るコースは、旗坂、色麻、観音寺、後白髭コースなどがあったようですが前述の泉ヶ岳から西方は戦後に開削されました。
時は、昭和25年7月20日仙台市の助役から、御所山(船形山)から泉ヶ岳に通じる登山道開削の構想を聞きその実現の可能性を検討するように依頼があったそうです。
早速、検討し8月15日に結論を出し17日から着手することとなった六人衆。
作業に当たった方々は、福岡の早坂一郎、相沢太左ェ門、新田久太郎、根白石の鷲尾永一、早坂太右ェ門、五百城幸治さんである。御所山道新設開発隊隊長には五百城幸治さんが就任。
作業延人員は64人、賃金一人300円、所要経費19,200円、工期8日。
さて、前置きはこのくらいにして今回のコースは水神から泉ヶ岳西方の鞍部である熊笹平に到達する。
60有余年の雰囲気を少しでも味わいたいと心を躍らせた。

【行 程】8:05泉ヶ岳登山口~8:15黒鼻山登山口~ヒザ川~10:00水神10:20~11:35熊笹平~11:45昼食12:40~2:50泉ヶ岳~滑空コース~大壁~13:30見返平~14:25泉ヶ岳登山口
【メンバー】 マロ7、おっ家内 計2名
8月も終わろうとしているのにまだお山に行ってなかった。いや、天気も恵まれなかったし、所要もぶつかって行けなかったのだ。
土曜日は倉庫の片付け、不要となってしまったハーベスタ(自走脱穀機)、もらい手ができたので嫁に出した。
15年くらい使っただろうか、チョツピリ寂しい自分と、倉庫の風通しが良くなって気分がすぐれたおっ家内がいた(^o^)
さて、日曜日の朝は久々の私の青空。畑仕事があるからと早く帰宅したいおっ家内の意見を取り入れて近場へ。
ここは冬場が来れないから夏場にと思っていたところ。勿論、マロ子は置いてけぼり…(^^)
残雪期に黒鼻山からヒザ川を渡渉した時、水神でヒザ川を渡渉した時、袖泉の尾根を降りたとき、そして熊笹平でここから水神まで行けるのでは…と欲望が生まれた時がありました。(^o^)
さほど、危険な場所はないだろうと、おっ家内3回目の沢はヒザ川の遡上に決めたのです。
さて、泉ヶ岳から北泉に至り、長倉尾根を越えて三峰山、蛇ヶ岳に至るコースは意外と歴史が浅い。
その昔に、船形山へ至るコースは、旗坂、色麻、観音寺、後白髭コースなどがあったようですが前述の泉ヶ岳から西方は戦後に開削されました。
時は、昭和25年7月20日仙台市の助役から、御所山(船形山)から泉ヶ岳に通じる登山道開削の構想を聞きその実現の可能性を検討するように依頼があったそうです。
早速、検討し8月15日に結論を出し17日から着手することとなった六人衆。
作業に当たった方々は、福岡の早坂一郎、相沢太左ェ門、新田久太郎、根白石の鷲尾永一、早坂太右ェ門、五百城幸治さんである。御所山道新設開発隊隊長には五百城幸治さんが就任。
作業延人員は64人、賃金一人300円、所要経費19,200円、工期8日。
さて、前置きはこのくらいにして今回のコースは水神から泉ヶ岳西方の鞍部である熊笹平に到達する。
60有余年の雰囲気を少しでも味わいたいと心を躍らせた。

駐車場はキャンプサイトとなっていたのには驚き。

おっ家内は、たまにはここも良いねと呟く。(^o^)シャワー完備だそうだが登山者は使えないとか。

この暑いのに人気の泉ヶ岳だが、沢装備で歩くのは少し違和感があるようだ。

いつの間にか、黒鼻山登山口の表示ができていた。

ヒザ川に入渓(^o^)

少しは難所を期待したのだが…出てこない。


ロープは使わず進める。

標識が出てきたりして、ここは子供達向けの沢だと思ってしまう。

ゴールでもないのに…。(^^)

あまりにも余裕があり過ぎるな。(^^;)

下流から見た水神、10人くらいの方々が休んでおり一人の旦那がやってきた。
おっ、五輪の旦那とは久し振り、船形と泉で3回くらいはお会いしただろうか。

水神からヒザを遡行する。この日の水は浅く登山靴でもいいくらいだった。

やがて、枯沢となりヤブが出てきた。

はじめて持ったハンマーはこの日は役立たず。(>_<)

20分くらいの藪漕ぎをして登山道に出て、左手に赤布を着ける。

話は変わりますが、時代はS25.8/17の午後1時、五百城隊長たちは泉ヶ岳山頂から西へと進む。泉と北泉の鞍部を目指して下り、100m下ったあたりから本格的な刈り払い作業となった。西へ西へと下ったが、雑木地帯が過ぎたら地竹が密生し丈も長く方向定めも木に登り作業が難しくなる。そのご鞍部(熊笹平)まで作業するのに夢中となって夕闇には水を求めて苦労した記述がされている。
まさに、この画像あたりだろうか。

展望の良い場所にて昼食、木陰がないから相当に暑いが時折吹き抜ける風が秋を感じさせる。

水神でお会いした五輪の旦那がやって来て立ち話、何とこの前は泉ヶ岳の250回登山をしたって。(^^)オメデトウ

今日のおかずはワタリガニ、バッチリ実が入って(^^)バツグン

泉ヶ岳山頂。

おっ家内は滑空コースを知らないって言うから、着いて来い。

いつの間にか萩の花咲く頃になってしまいましたね。

シャジンも終わりかけていました。
沢登りと意気込んで装備を揃えて、おっ家内の訓練を兼ねて辿りましたがロープを出すことはありませんでした。
鞍部に出るヤブを刈りはらえば、ここはまさにエスケープルート、ヤブはいつでも熊さんが出てきそうな気配なのでハンマーで石をカンカンたたきながら進みました。
さあ、次は何処へ。おっ家内用の軽い沢はどこがあるかな。(^^)

本内容の一部は、「泉岳~船形山道路開発記」昭和25年五百城幸治氏筆記、庄司健治氏編集の一部を参考にさせていただきました。

ルート図です。

おっ家内は、たまにはここも良いねと呟く。(^o^)シャワー完備だそうだが登山者は使えないとか。

この暑いのに人気の泉ヶ岳だが、沢装備で歩くのは少し違和感があるようだ。

いつの間にか、黒鼻山登山口の表示ができていた。

ヒザ川に入渓(^o^)

少しは難所を期待したのだが…出てこない。


ロープは使わず進める。

標識が出てきたりして、ここは子供達向けの沢だと思ってしまう。

ゴールでもないのに…。(^^)

あまりにも余裕があり過ぎるな。(^^;)

下流から見た水神、10人くらいの方々が休んでおり一人の旦那がやってきた。
おっ、五輪の旦那とは久し振り、船形と泉で3回くらいはお会いしただろうか。

水神からヒザを遡行する。この日の水は浅く登山靴でもいいくらいだった。

やがて、枯沢となりヤブが出てきた。

はじめて持ったハンマーはこの日は役立たず。(>_<)

20分くらいの藪漕ぎをして登山道に出て、左手に赤布を着ける。

話は変わりますが、時代はS25.8/17の午後1時、五百城隊長たちは泉ヶ岳山頂から西へと進む。泉と北泉の鞍部を目指して下り、100m下ったあたりから本格的な刈り払い作業となった。西へ西へと下ったが、雑木地帯が過ぎたら地竹が密生し丈も長く方向定めも木に登り作業が難しくなる。そのご鞍部(熊笹平)まで作業するのに夢中となって夕闇には水を求めて苦労した記述がされている。
まさに、この画像あたりだろうか。

展望の良い場所にて昼食、木陰がないから相当に暑いが時折吹き抜ける風が秋を感じさせる。

水神でお会いした五輪の旦那がやって来て立ち話、何とこの前は泉ヶ岳の250回登山をしたって。(^^)オメデトウ

今日のおかずはワタリガニ、バッチリ実が入って(^^)バツグン

泉ヶ岳山頂。

おっ家内は滑空コースを知らないって言うから、着いて来い。

いつの間にか萩の花咲く頃になってしまいましたね。

シャジンも終わりかけていました。
沢登りと意気込んで装備を揃えて、おっ家内の訓練を兼ねて辿りましたがロープを出すことはありませんでした。
鞍部に出るヤブを刈りはらえば、ここはまさにエスケープルート、ヤブはいつでも熊さんが出てきそうな気配なのでハンマーで石をカンカンたたきながら進みました。
さあ、次は何処へ。おっ家内用の軽い沢はどこがあるかな。(^^)

本内容の一部は、「泉岳~船形山道路開発記」昭和25年五百城幸治氏筆記、庄司健治氏編集の一部を参考にさせていただきました。

ルート図です。
