ワラビと鹿島神社
タイトルは首を傾けるでしょう。
5/18(土)夕方に地区の会議がありますので、時間が読めるところへ。
例年の場所で①ワラビを大量に採って、②薬莱高原へ行ってワサビジェラートを食べお土産を買う。
③中新田辺りで昼飯、そして④四日市場の鹿島神社へ参拝し我が地区との800年前の経緯を調べるという、またもや欲張り行脚です。
ひとつ抜けていました。先週の課題、⑤蛇ケ岳の名前の由来は釈迦ケ岳からの変化も一説ですが、加美地方から眺める蛇ケ岳は大蛇が登る残雪が現れるとういうので残雪を見る。
画像はワラビではなくゼンマイです。

5/18(土)夕方に地区の会議がありますので、時間が読めるところへ。
例年の場所で①ワラビを大量に採って、②薬莱高原へ行ってワサビジェラートを食べお土産を買う。
③中新田辺りで昼飯、そして④四日市場の鹿島神社へ参拝し我が地区との800年前の経緯を調べるという、またもや欲張り行脚です。
ひとつ抜けていました。先週の課題、⑤蛇ケ岳の名前の由来は釈迦ケ岳からの変化も一説ですが、加美地方から眺める蛇ケ岳は大蛇が登る残雪が現れるとういうので残雪を見る。
画像はワラビではなくゼンマイです。

①ワラビを大量に採って…の、希望でしたが( ;∀;)
以前はひと朝で、ザック満タンでしたが今日は不作でした。
近場に三角点があったのでヤブ漕ぎして向かうことに。

樹木で展望はなし。埋もれた4等三角点を現しましたので、ヨシヨシ。

点名は「高森」ワラビが採れませんでしたが、三角点が踏めたしまずはヨシ。

②薬莱高原へ行ってワサビジェラートを食べお土産を買う。
おばさんと船形連峰です。

新緑の薬莱山、わずか553mの標高ですが、加美郡の名を冠して加美富士とも呼ばれる円錐形の山です。
船形山の大きく広がった裾野が、北東で平野に没しようとする付近にある独立峰は、周辺に何もないため、大崎平野の古川市辺りからも端正な姿が望まれます。。

ワサビジェラートは美味し、んっ、ワラビが採れなかったのでお土産は激買い…までは。

私にとっては幻の釜神さま…半分作ってそのままにしている、

⑤に飛んでしまいます。
蛇ケ岳の名前の由来は釈迦ケ岳からの変化も一説ですが、加美地方から眺める蛇ケ岳は大蛇が天を昇る。
これを確かめたかった。長倉尾根から辿ると三峰山から蛇ケ岳へと続く。

蛇ケ岳。

船形山、ここにも大蛇が昇っているような…。

荒神山。

中新田に向かう途中に立ち寄りは計画外。
薬莱神社

御朱印をいただこうとしましたが、不在??のようでした。

曹洞宗の龍川寺、通るたびに山門に見とれていました。




③中新田辺りで昼飯でしたが、鹿島神社を参拝してから「蕎麦りぞう庵」に入ります。

入口ポスト…これ作りなさい…んっ( *´艸`)

これも…"(-""-)"

板そばが好きな私ですが、このソバもお気に入り、お薦めです。

さてさて、おしまいの
④四日市場の鹿島神社へ参拝です。

境内で宮司さんが清掃中でした。私の地区との800年前の経緯を話すと快く応対してくれました。

現代の説明板。

石碑、昭和30年代に渡辺並光氏が宮城県史編纂のおりにこの地を訪れて、我が地との関連を確認した。

要石。







御朱印をいただきました。
そして、おじいさんが家で待ってますのでどうぞ…おっ、これは凄いことになってきました。(^∇^)ノ

千葉家52世千葉文雄様、大正11年生まれですから御年96歳、宮司の傍ら農村画家の千葉文雄さんだったのです。
秘蔵の画集を見せていただきました。

「山の正午」昭和27年河北美術展入選作。

「春光」若かりし頃の奥様です。昭和25年河北美術展入選作

「晴間」薬莱山、えっ山容が違いますねって聞きましたら西側(小瀬)からの写生です。
昭和26年河北美術展入選作・中新田公民館へ寄贈


はたしてお神輿は、50キロ離れたこの地へ陸路か水路(鳴瀬川)を辿ったのか。
いつまでこの行事が続いたのか…文献は見当たらないそうです。( ´_`)
登山はできませんでしたが、凝縮された一日に満足でした。
以前はひと朝で、ザック満タンでしたが今日は不作でした。
近場に三角点があったのでヤブ漕ぎして向かうことに。

樹木で展望はなし。埋もれた4等三角点を現しましたので、ヨシヨシ。

点名は「高森」ワラビが採れませんでしたが、三角点が踏めたしまずはヨシ。

②薬莱高原へ行ってワサビジェラートを食べお土産を買う。
おばさんと船形連峰です。

新緑の薬莱山、わずか553mの標高ですが、加美郡の名を冠して加美富士とも呼ばれる円錐形の山です。
船形山の大きく広がった裾野が、北東で平野に没しようとする付近にある独立峰は、周辺に何もないため、大崎平野の古川市辺りからも端正な姿が望まれます。。

ワサビジェラートは美味し、んっ、ワラビが採れなかったのでお土産は激買い…までは。

私にとっては幻の釜神さま…半分作ってそのままにしている、

⑤に飛んでしまいます。
蛇ケ岳の名前の由来は釈迦ケ岳からの変化も一説ですが、加美地方から眺める蛇ケ岳は大蛇が天を昇る。
これを確かめたかった。長倉尾根から辿ると三峰山から蛇ケ岳へと続く。

蛇ケ岳。

船形山、ここにも大蛇が昇っているような…。

荒神山。

中新田に向かう途中に立ち寄りは計画外。
薬莱神社

御朱印をいただこうとしましたが、不在??のようでした。

曹洞宗の龍川寺、通るたびに山門に見とれていました。




③中新田辺りで昼飯でしたが、鹿島神社を参拝してから「蕎麦りぞう庵」に入ります。

入口ポスト…これ作りなさい…んっ( *´艸`)

これも…"(-""-)"

板そばが好きな私ですが、このソバもお気に入り、お薦めです。

さてさて、おしまいの
④四日市場の鹿島神社へ参拝です。

境内で宮司さんが清掃中でした。私の地区との800年前の経緯を話すと快く応対してくれました。

現代の説明板。

石碑、昭和30年代に渡辺並光氏が宮城県史編纂のおりにこの地を訪れて、我が地との関連を確認した。

要石。







御朱印をいただきました。
そして、おじいさんが家で待ってますのでどうぞ…おっ、これは凄いことになってきました。(^∇^)ノ

千葉家52世千葉文雄様、大正11年生まれですから御年96歳、宮司の傍ら農村画家の千葉文雄さんだったのです。
秘蔵の画集を見せていただきました。

「山の正午」昭和27年河北美術展入選作。

「春光」若かりし頃の奥様です。昭和25年河北美術展入選作

「晴間」薬莱山、えっ山容が違いますねって聞きましたら西側(小瀬)からの写生です。
昭和26年河北美術展入選作・中新田公民館へ寄贈


はたしてお神輿は、50キロ離れたこの地へ陸路か水路(鳴瀬川)を辿ったのか。
いつまでこの行事が続いたのか…文献は見当たらないそうです。( ´_`)
登山はできませんでしたが、凝縮された一日に満足でした。