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銀河鉄道の濱

10ケ月待ってこの日がやってきました。
DSCN1555_R.jpg
社協では、毎月被災地住民を対象として各事業を展開しています。
この事業とは、民謡や踊り、マリンバ、手品師などなど…月替わりで町内5地区開催されています。
コロナ禍がまだ平穏な今年のはじめに、地区の歴史の講演をどうかと依頼されました。
えっ、地元なら昨年行いましたが他地区となるとわかりません…押し問答、念押しされ軽く「ハイ」と頷いた。
あれから10ケ月、いろんな書籍を開き資料を作り、この日が到来。
会場は、老人が大半の中に若人がお一人…引っ越してきたので地元を知りたいとか。イイね(^_-)-☆
資料は20ページ…「豊富な資料…乏しい知識」が私のモットー…
会場が満杯ならなかったら沢田研二みたいに帰るよなんて言ったものの…ソーシャルディスタンスを取ったので「満員御礼」です。
菖蒲田


やはり菖蒲田浜は海水浴場でしょう。山の軽井沢、湖の野尻湖、海の高山と明治の頃は外人さんの避暑地だった七ヶ浜。
そこへ戸長の猪狩章は敏腕だった。色んな人脈があり在任中に「菖蒲田浜海水浴場の開設「」と、この頃の迎賓館としての「大東館」を建設した。手前の島は「立石」半世紀前は渡れたのに仙台新港が建設されて沖防波堤ができると海流の流れが変わり海岸が浸食されるはめになった。画像の消防隊は海水浴での水難者を救助中であったが2名が亡くなった。
立石_R


「立石」
立石2





眺望崎にはその大東館があり、今は石碑だけが海を眺めている。
1碑_R



先日、仙台港にツチ鯨があがったが金華山沖には鯨がまだまだいるんだろうね。
5f93cf70240000a80c9ad48d_R.jpg



よく見ると右側は「鯨霊神」と明治期の石碑だが…やはり鯨はあがったのだろうね。
2鯨_R


仙台港にあがったツチ鯨はトレーラ(荷台長さ12m)に積み込まれて鮎川へ行ったようだ。
ElEUJiHVMAAzPhh_R.jpg



何たって、菖蒲田浜には一夜だけだが宮沢賢治が訪れている。
最愛の叔母である「平賀ヤギ」が大東館で塩湯治をしていた。中学の修学旅行で一関から船で石巻、松島、塩釜に来る。
塩釜で宿泊はせず日帰りということで大東館にいる叔母に面会する。塩釜から7㎞の道のりをどうして来たのでろうか。
推測だが、貞山堀には大代丸が就航していたから大代まで乗船、菖蒲田浜までの3㎞は歩いたのだろうか。
それとも、人力車だろうか。決定できる資料はなく、当時は菖蒲田浜には6軒の旅館があると記している。
大東館から塩釜までの帰りは人力車を利用している。
大東館、日野屋、永楽店までは語りつがれているがそのほかは知る由もない。
賢治は大好きな叔母と大海原から広がるこの天の川を見て銀河鉄道の夜を思い浮かべたのだはないだろうか。
悲しいことながら、叔母の平賀ヤギはこの年の亡くなっている。
OIP.jpg





画像は今から32年前の地元紙であるが、保存していてようやくこの日に日の目を見ることができたことは嬉しい。
3宮沢賢治_R




これが大東館です。多くの文人達も来たようで、後藤新平の名前があったようですね。
宮沢賢治は叔母とこの磯を歩いたことが記されていますね。
大東館4





大東館のあった眺望崎はリニューアルされましたので訪れてみてください。
大東館2_R



夏目漱石と土井晩翠もね。そういえば先日、大林寺に行って土井晩翠の墓に手を合わせてきました。
大東館3_R


鯨から像の話へ、画像は仙台科学館のシオガマ像のモデル。築港建設の際に発見されたそうだが太古の昔にはこの辺りにもいたようだ。学術名称もシオガマの地名であるから身近に感じる。太古の時代に愛子付近からは仙台湖なる大きな湖があって楽園だったようだ。
シオガマ像_R



浜にも山はある。日本で一番低い山は宮城野区の日和山ですが菖蒲田浜海水浴場北西側の小高い山は韮山である。
標高は40mあったのに団地造成で12.9mとなり4等三角点がある。
この三角点は韮山の頂上から北側の位置にあるが何と日本で7番目に低い山だとわかった。
DSCN0047_R_202011111923551a7.jpg


3分の1の低さになって山を感じさせない小高い丘になったが西は蔵王、東は金華山が一望できる。
韮山2



昔の写真を被せてみた。
花淵築港建設(荒波で頓挫)や、仙台火力の建設に砕石が掘られて昭和30年代にはこのような姿になっていた。
韮ケ森の名前はどうして…韮なのか・・???
韮山3


韮山反射炉、韮崎市、三陸には韮が浜、柴田町には韮神山がある。
野菜の韮でも栽培してたのかと思ってしまうが、そうではないそうだ。
調べたらこうだ。韮のように細長い地形、そして付近には湿地地帯があるという。
まさに韮山はそのとおり南北に細長く西側には阿川沼なる湿地帯があるので納得。
韮山1



石畑地内には立派な雷神碑がある。聴講者の一人は阿川沼の傍らから移動してきたという。
韮山の前に佇む阿川沼はその昔、中国の淡水魚である草魚(2mになる)が生育していたそうだ。
3.11津波後に捜索の為に水抜きされ底を現したが何の気配もなかった。
韮山阿川_R



またまた話がそれるが、戊辰戦争の時に仙台藩重鎮の三好監物なる人物がいた。
その孫が、菖蒲田浜にいたという。
三浦せつは明治期に節婦として、時の県知事から表彰を受け5万円の褒美を拝領したそうだ。
今どきの金額はどのくらいかと…換算してみたら150万円位に相当する数字がでた。
三好監物_R


話はもっとありましたが、郷土の偉人で「渡辺波光」さんなる方がいる。
中央の文人たちとの付き合いもあり毎週末は上京して高名な方々と親交を交わしていたようだ。
「宮城野盆唄「」はその渡辺波光さんの作詞である。
盆踊りと言えば相馬盆唄であるが、仙台藩では伊達騒動以来、祭囃子的な盆唄は禁じていたそうだ。
時代は新しくなり、宮城にも相馬盆唄に匹敵するような要望が高まり「宮城野盆唄」が誕生したようである。
宮城野盆唄



我が母校の校歌も渡辺波光さんの作詞だが、時の売れっ子作曲家の中山晋平は即「OK僕乗」だったという。
最近、6番があるという情報があったが戦前に作った詩の内容は戦後削除されたというが、どうなのだろうか。
DSCN5324_R.jpg


渡辺波光さんは、文献も数少ないなか寂れた漁村の町史を編纂し後世に残してくれた。
「独学詩家文芸作家史家民謡研究家」墓を訪れその業績に手を合わせた。
波光墓

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