月居(つきおれ)山と袋田の滝
11/22(日)は宇都宮から茨城県大子町へ向かいます。
道の駅でアユの塩焼き(500円)を味わう。
ネコでもない犬なのにマロ子は魚が大好きである。∠( ^ o ^ ┐)┐ …

道の駅でアユの塩焼き(500円)を味わう。
ネコでもない犬なのにマロ子は魚が大好きである。∠( ^ o ^ ┐)┐ …

茨城県北部には日本三名瀑に数えられる袋田の滝があり、月居山はその背後にそびえる双耳峰の山です。
周辺はハイキング道が整備されており名瀑だけではなく、観音堂や城跡、石仏群が楽しめるようですね。
袋田の滝は冬は凍結し見事な氷瀑になり、周辺の積雪は少ないことから、とくに冬季は人気があるそう。

無料駐車場9:25・・・七曲り入り口9:40・・・月居山登山口10:07・・・10:22月居山10:35・・・生瀬滝分岐・・・11:28生瀬の滝展望台・・・11:33袋田の滝観瀑台・・・11:50お食事処12:10・・・無料駐車場12:40
車道を横断して七曲りに入ります。時計と反対回りのコースを選び下山は袋田の滝を見ながら…という考えです。

左手の民家の裏には檻に入った大型のイノシシがいました。こんな巨体で突進されたら撃沈されるね。

登山口から九十九折の急登というが、七曲り坂はそんなに急坂ではありません。
尾根部に明かりが見えあっと言う前に車道?が現れた。

月居山からは生瀬富士とか八溝山とか多方面に縦走路があるようだ。

車道に出てまた登山道に入る。

ここは水戸藩内部での抗争があった場所だ。天狗党のことは脳裏にあったがまさかここだとは思っていなかった。
元治元(1864)年十月二十七日に月居峠にて水戸藩家老・市川三左衛門ら保守派および幕府軍と、尊皇攘夷派の藤田小四郎、武田耕雲斎らが率いる天狗党の一派が月居峠附近で交戦し、天狗党の一名が戦死した(元治甲子の乱・天狗党の乱)。

ちょっと寄り道しますね。
戦況不利の中、田丸稲之衛門を首領とする800余名が追討軍の一角を突破して脱出しました。 同年10月25日、彼らは常陸国大子村に集結して陣容を立て直し、当時、藩内の諸生党(門閥派)のために家老職を追われた。
武田耕雲斎を総大将に約1,000人の軍勢が、尊王攘夷の志を天朝に訴えんと京都を目指すことになりました。
彼らは11月1日常陸国大子村を出立し、野州(栃木県)、上州(群馬県)、信州(長野県)、美濃(岐阜県)を通り、雪の越前へ入ってきました。 越前内では、西谷(大野市西谷地区)、池田(今立郡池田町)、宅良(南条郡今庄町)の間道を進み、今庄宿から木の芽峠を越えて 新保(敦賀市新保)に至りましたが、加賀藩はじめ各藩に進路を阻まれ、やむなく京への志を断念し、降伏しました。
元治2年(1865)2月、幕府若年寄 田沼意尊の命により捕縛されていた武田耕雲斎ら天狗党勢は、 斬首刑353人、遠島刑136人、追放180人、水戸藩引渡し125人など過酷な処刑を受けました。
※斬首刑353人とは凄過ぎですね。時の大久保利通は、これでこの先の幕府は続かないと読んでいたそうです。
時代は明治となり、今度は天狗党生き残りが反撃し追討した勢力を潰し要人はいなくなったといいます。
だから、明治政府での要職を占めていなかった…この構図は仙台藩での「仙台騒擾」と近似してますね。
鞍部から右へ、月居山へは急坂となる。

マロ子はモテモテ、行きかう方々から声がかけられます。(>_<)アリガトウ

高い所があると必ず行ってエリア確認は動物本能でしょうか。

鎖場は難無く4駆を発揮しました。

月居山に到着、ここでもモテモテ女。

三角点確認。

紅葉真っ盛りでした。

山頂は色んなグループが紅葉を愉しんでいました。

先ほどの鎖場でマロ子は真っ逆さまに急降下、下の男性が見とれていたようです。

佐竹家の家臣であった袋田氏は佐竹氏の秋田移封に伴ったそうですね。

腕力を生かしての鐘突き、静かに突いてくださいとの表示は後から見てしまったようだ。

昭和25年の梵鐘。

朱色の月居山光明寺観音堂
この観音堂は三代目になり、一代目は、元治元年(1864年)10月27-28日月居峠における天狗党と諸生党との
争いの時に焼き払われ、2代目は、1942年に再建され、三代目は、現在のもので1999年に改築されているそうです。

登りの階段は続きます。

現在地を確認、あとは下るだけです。

マロ子、モテモテ…( ^)o(^ )

生瀬滝が見えてきました。

下りながら滝を見る…これは正解でした。

そして、袋田の滝が出てきました。

袋田の滝はそれぞれの四季に来なければならない4度滝だそうですよ。

天狗岩伝説。

行きかう人が出て来たのでマロ子は所定の場所へ、ラクチン。

吊り橋を渡れば有料(300円)のトンネルで折り返し。

昼飯は滝を見ながら、けんちんそばと甘酒をいただいた。

やはり、吊り橋を渡って滝見、この次は観光で来てあの滝見台から見物だな。

ようやく来れた、袋田の滝とオマケの月居山でした。

ルート図です。今度は生瀬山経由だね。

帰路は、高萩に出て高速に乗ります。途中、里美の「かかし祭り」をのぞきました。

NHK朝ドラの「エール」だそうです。

逃亡者のゴーン、考えましたね。

爺さんと孫の微笑みに心を奪われました。

里美のかかし祭りは活気がありましたね。

福島県浜通りを北上…誰もいない廃墟の町、10年を迎えようとしている原発事故。
女川原発が再稼働するのか…この前、女川原発の津波は堤防に80センチ余裕があったと放送していた。
あの大津波は干潮時期に襲来したのであって、満潮時だったら福島と同じ事故になったことを誰も論じていない。
人類が制御出来ないもの、避難計画が必要な施設は作るべきではない。

周辺はハイキング道が整備されており名瀑だけではなく、観音堂や城跡、石仏群が楽しめるようですね。
袋田の滝は冬は凍結し見事な氷瀑になり、周辺の積雪は少ないことから、とくに冬季は人気があるそう。

無料駐車場9:25・・・七曲り入り口9:40・・・月居山登山口10:07・・・10:22月居山10:35・・・生瀬滝分岐・・・11:28生瀬の滝展望台・・・11:33袋田の滝観瀑台・・・11:50お食事処12:10・・・無料駐車場12:40
車道を横断して七曲りに入ります。時計と反対回りのコースを選び下山は袋田の滝を見ながら…という考えです。

左手の民家の裏には檻に入った大型のイノシシがいました。こんな巨体で突進されたら撃沈されるね。

登山口から九十九折の急登というが、七曲り坂はそんなに急坂ではありません。
尾根部に明かりが見えあっと言う前に車道?が現れた。

月居山からは生瀬富士とか八溝山とか多方面に縦走路があるようだ。

車道に出てまた登山道に入る。

ここは水戸藩内部での抗争があった場所だ。天狗党のことは脳裏にあったがまさかここだとは思っていなかった。
元治元(1864)年十月二十七日に月居峠にて水戸藩家老・市川三左衛門ら保守派および幕府軍と、尊皇攘夷派の藤田小四郎、武田耕雲斎らが率いる天狗党の一派が月居峠附近で交戦し、天狗党の一名が戦死した(元治甲子の乱・天狗党の乱)。

ちょっと寄り道しますね。
戦況不利の中、田丸稲之衛門を首領とする800余名が追討軍の一角を突破して脱出しました。 同年10月25日、彼らは常陸国大子村に集結して陣容を立て直し、当時、藩内の諸生党(門閥派)のために家老職を追われた。
武田耕雲斎を総大将に約1,000人の軍勢が、尊王攘夷の志を天朝に訴えんと京都を目指すことになりました。
彼らは11月1日常陸国大子村を出立し、野州(栃木県)、上州(群馬県)、信州(長野県)、美濃(岐阜県)を通り、雪の越前へ入ってきました。 越前内では、西谷(大野市西谷地区)、池田(今立郡池田町)、宅良(南条郡今庄町)の間道を進み、今庄宿から木の芽峠を越えて 新保(敦賀市新保)に至りましたが、加賀藩はじめ各藩に進路を阻まれ、やむなく京への志を断念し、降伏しました。
元治2年(1865)2月、幕府若年寄 田沼意尊の命により捕縛されていた武田耕雲斎ら天狗党勢は、 斬首刑353人、遠島刑136人、追放180人、水戸藩引渡し125人など過酷な処刑を受けました。
※斬首刑353人とは凄過ぎですね。時の大久保利通は、これでこの先の幕府は続かないと読んでいたそうです。
時代は明治となり、今度は天狗党生き残りが反撃し追討した勢力を潰し要人はいなくなったといいます。
だから、明治政府での要職を占めていなかった…この構図は仙台藩での「仙台騒擾」と近似してますね。
鞍部から右へ、月居山へは急坂となる。

マロ子はモテモテ、行きかう方々から声がかけられます。(>_<)アリガトウ

高い所があると必ず行ってエリア確認は動物本能でしょうか。

鎖場は難無く4駆を発揮しました。

月居山に到着、ここでもモテモテ女。

三角点確認。

紅葉真っ盛りでした。

山頂は色んなグループが紅葉を愉しんでいました。

先ほどの鎖場でマロ子は真っ逆さまに急降下、下の男性が見とれていたようです。

佐竹家の家臣であった袋田氏は佐竹氏の秋田移封に伴ったそうですね。

腕力を生かしての鐘突き、静かに突いてくださいとの表示は後から見てしまったようだ。

昭和25年の梵鐘。

朱色の月居山光明寺観音堂
この観音堂は三代目になり、一代目は、元治元年(1864年)10月27-28日月居峠における天狗党と諸生党との
争いの時に焼き払われ、2代目は、1942年に再建され、三代目は、現在のもので1999年に改築されているそうです。

登りの階段は続きます。

現在地を確認、あとは下るだけです。

マロ子、モテモテ…( ^)o(^ )

生瀬滝が見えてきました。

下りながら滝を見る…これは正解でした。

そして、袋田の滝が出てきました。

袋田の滝はそれぞれの四季に来なければならない4度滝だそうですよ。

天狗岩伝説。

行きかう人が出て来たのでマロ子は所定の場所へ、ラクチン。

吊り橋を渡れば有料(300円)のトンネルで折り返し。

昼飯は滝を見ながら、けんちんそばと甘酒をいただいた。

やはり、吊り橋を渡って滝見、この次は観光で来てあの滝見台から見物だな。

ようやく来れた、袋田の滝とオマケの月居山でした。

ルート図です。今度は生瀬山経由だね。

帰路は、高萩に出て高速に乗ります。途中、里美の「かかし祭り」をのぞきました。

NHK朝ドラの「エール」だそうです。

逃亡者のゴーン、考えましたね。

爺さんと孫の微笑みに心を奪われました。

里美のかかし祭りは活気がありましたね。

福島県浜通りを北上…誰もいない廃墟の町、10年を迎えようとしている原発事故。
女川原発が再稼働するのか…この前、女川原発の津波は堤防に80センチ余裕があったと放送していた。
あの大津波は干潮時期に襲来したのであって、満潮時だったら福島と同じ事故になったことを誰も論じていない。
人類が制御出来ないもの、避難計画が必要な施設は作るべきではない。
