この震災が残したもの

東日本大震災から1年
朝刊では死者19009名(宮城9512名うち行方不明1688名)の数。
未曾有の大地震から1年が過ぎた。あっという間の1年、加齢のせいかもしれないが
こんなに日々の流れが早い年は今まではなかったような気がします。
それにしても、津波さえなければこんなに被害はなかったでしょう…。



地震の後の我が家は屋根瓦瓦が損壊、母屋は昭和23年のものなので、基礎は置き石だから
それなりに被害があると思ったらそうでもありませんでしたが…。<黒煙はコンビナートの火災>

大津波は1時間経って襲ってきました。



古老等も度肝を抜かれたようで、高台からただ呆然と見ているだけでした。(画像は友人の提供・コピー禁)


そして引き波が…見えたのは漁港の底。。(画像は友人の提供・コピー禁)


夜半には仙台港から流れた多数のコンテナが煙を出していました。(画像は友人の提供・コピー禁)


漁船はうまく堤防に乗りかかったようですが、近くに行ってみましたらテトラポットの上で船底には穴が開いていたそうです。


海岸線の町道は瓦礫で閉鎖状態、これで救援隊は右往左往でした。


町の中央にある横断線は冠水してしまいました。地震で橋が破壊されれば陸上交通は遮断される想定でしたが、まさか冠水で遮断されるとは思いませんでした。


数日後に帰宅して、ビックリ。津波の瓦礫は我が家の150m手前まできていました。



我が部落の津波痕跡です。


それにしても、あわや数十万トンの貨物船が我が町に上陸か…でした。
津波警報発令で離岸しようとしているところに津波が、引き波で貨物船は投錨したまま海に引き下がります。そして押し波で船首が陸地を向いたそうでうす。これを見ていた方々は騒然…貨物船はどす黒い煙を吐いて沖合に出たそうで、これが上陸したら大量の危険物がまき散らされることに。
画像は、菖蒲田沖を避難する貨物船の半分が撮られていました。



これは水を補給しているおっ家内です。近所に海苔養殖業の方が井戸水を開放していましたので、急遽、愛車の銀トラは水槽車に早変わりして宅配してあげました。我が家は、一旦、青の水タンクに貯水し風呂へ自然流下でok.


人々は生活のため、家族のため、郷土のため、夢のため、将来のため頑張って生きてきました。
とてつもない大災害に遭遇したけれど、何が大事だったのかぼんやりながら見えてきましたのではないでしょうか。
「一番は命」、何にも代えがたい地球よりも重いはずの命が、地球の身震いのために幾万もの命が奪われてしまいました。何のすべもできなかった私達は事後対応が主となってしまったことは残念です。
高度経済成長、バブル経済を体験しながら便利と合理を求めた時代がありました。
今回は、「水と僅かな食べ物」に、大きな有り難さを感じつつ手を合わせました。
そして、いつもと変わらぬ美しい海岸線は「絆」のなかで復活してきています。


もうすぐだった春爛漫の季節を待ち望み、桜花を見られなかった沢山の御霊に、心からのご冥福を祈ります。2012.3.11

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No title

私も今日は花を手向けに行ってました。
親類や同僚の名を新聞に見て、なぎ倒された募石に線香をあげてきました。
米とイチゴも買わねばなりません。

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tom さん
一年目が巡った歳月の節目でしたね。誰しもが災禍を振り返り、進むべき道に思いをはせたでしょうね。
米は買うようになってしまいましたが、田んぼでかく汗が懐かしくなりました。亘理イチゴをね。

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私も、昨日は友人知人の名を河北新報の紙面で確認したり、鎮魂に気持ちを寄せました。
あんなことが起こると、生きていることって、ほんとに偶然なんだなあ…と思えます。
それとともに、一番大切なものもは何かも、わかります。生かされた以上は大切に、丁寧に生きていきたいです。
山、登るぞ! な~んてね。

No title

あらためてTVの特番で涙し、
天災の恐ろしさと人災の愚かさを噛みしめました。
マロ7さん家も、かなりヤバイ位置だったんですね…
なんだかアッという間の1年でしたが、
自分の実家の方を含め、復興はまだまだですねえ〜
早く田んぼでイイ汗流せる事を祈ってます!

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私の従兄が津波で亡くなって、叔母は私の事を実の息子のように思ってくれております。
親戚で家を失った方々も多く、忘れてはならない災害なのでしょうが、私的には早く忘れたい記憶になっております。
今思えば嫌なことが多かった一年でした。

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チリ地震津波の話を聞いて育ったのに、教訓は生かされなかったかもです。
この日は志津川中学校で国際放送特番のスタッフをしておりました。南三陸も報道陣がたくさんでした。

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我が家から東に見えた真っ黒い異様な雲に
空恐ろしさを感じていました
生きていてよかった~☆
生かされました・・・ね
あれから山に登り続けています
震災で重き荷を背負った感もあります

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tkさん
やはり皆さんが河北の紙面とにらめっこでしたね。
仕事での知り合いも2人が犠牲となりました。
生かされたこの1年は凝縮されました。これからは、どう生きようか…前へ進むだけ。(^o^)そう、山も進むぞ! な~んてね。

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タッシー
地震は予期されていたもんだけど、津波と放射能がなければこんな結果にもならなかったねぇ。
今回の津波は干潮でしたから、満潮だったらもっと被害がでましたよ。
アッという間の1年、向こう1年もあっという間でしょうか。
復興も福幸も欲しいねぇ〜(^^)
田んぼは数年先みたいで、その時は体力低下か…(/_;)!

No title

SONE さんの親戚関係の被害も多いですね。
血縁者もいるとなおさら身を切る災害でした。
人生行ったり来たりですが、向こう一年はこの震災と付き合いながら生きたいと思います。

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ナカシィさん
浜でのチリ地震津波は誰もわからなかった。表浜の漁師が網仕事をしていて気づいて部落の皆さんに教えて避難したそうです。
教訓はあったのに、仏様そ守ると避難しない方、薬を取りに帰宅した方もいたようです。60年で記憶が消えるとか、この災害はいかに伝承するかでしょうね。
南三陸の報道陣は凄かったですね。

No title

PAPICOM さん
東に見えた真っ黒い雲は、9.11テロを思い出させました。
へたすれば、誘爆したら大惨事につながる心配があったようです。生かされて生きて、これからも生きる・・・。
あれからの山は、震災と一緒に登り続けているようでもあります。

No title

改めて亡くなられた方々の・・・・いのち と
被災された方々の心の痛み、身の痛み
それを支援し活動されている皆様と
そして未来とを深く心に想い、生きていきたい

No title

本当にあっという間の一年でした。
思いは人それぞれですが丁寧に生き続けることが大事なのでしょうね。

No title

クマ仙人
こちらは春めいた朝ですよ。
被災者の心の痛み、身の痛みが段々とストレスに現れてきているよう、心のケアが大切ですね。1回目の給水所から2回目の給水所へ、ゴールはまだまだ見えていません。

No title

morino さん
今年は緩やかに過ごしたいものです。
少しずつ、すこしずつに生きましょうぜ。
土曜日は寺行事ですので、ご査収ください。(^^;)
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やんちゃ姫のマロ子とお山を歩きます。(^o^)

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