関山の沢は広瀬川の源流

【日  程】2014年11月8日(土)  【天 候】晴
【山  域】 奥羽山脈のまん中 
【行  程】 9:50国道48スノーシェルター→10:05坂下境目番所跡→広瀬川→支沢→二股戻る→広瀬川→旧道→旧関山トンネル→急登→尾根→鞍部・旧関山トンネルの真上→龍の鬣→休み処(推定)→14:05関山14:15→宮城側分岐→峰渡り→14:40大ぶな→関山旧道→15:20
 【メンバー】 マロ7・おっ家内 計2名

鬼首の大柴山へ企てていましたが、何とゴンドラは11/3で終了していました。おっ家内の同行は無理して登らないことが条件でしたのでこれも前から遡行したかった関山旧道沿いの沢に決定、藪こぎがあるからとマロ子は置いてけぼりです。
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国道48スノーシェルタPに駐車して西側の沢を渡渉して沢沿いに 関山番所跡に下りました。
「関山街道開さく殉難之碑」石碑さく
明治13年(1880)7月21日、関山新道の開さくに要する爆薬の運搬中、休憩していた峰渡りの道の仙台登り口「坂下番所跡」で爆裂事故が発生し事故により23名が殉職した。
昭和4年(1929)殉職者の50年忌を機に、関山養泉寺の住職「中里泰雄」が発願して広く広報活動をして浄財を募り、事故現場の「坂下番所跡」に殉職者の慰霊碑を建立した。
碑の形状  不正形5角形   高さ2800cm  幅1面30~15cm 碑文・正面  関山街道開さく削殉難之地  子爵 三島通陽 書
・三島通陽(ミシマミチハル)は統一山形県令 三島通庸平(ミシマミチツネ)の孫で日本ボーイスカウトの草分けだそうです。
裏面は、
明治十三年七月二十一日爆死セル二十三名ノ街道受難者五十年忌にあたリ各方面の賛助ヲ得浄財ノ喜捨ヲ廣ク十万ニ仰ギテ建立ス 発願者 中里泰雄  協賛会 高崎村長 今野久一
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通常は尾根急登を辿り旧道と峰渡りの交差部へ行きますが…左手の沢を遡上します。
早速、第一堰堤が、プレートは昭和48年となっており、まだ、旧道が健在だったころ工事がなされたようです。その証拠として峰渡りの交差部の下にはコンクリートや鉄筋の残存物などが見受けられます。
第一堰堤は巻きちゃん。(^o^)
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広瀬側源流はどこか…???個人的には、現在の関山トンネル右手、寒風山ルートに至るルート沿いに沢がありますがそこだと思います。あえてここも広瀬川源流としました。
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旧国道沿いの沢ですからそれなりに時代のゴミがありました。タイヤのサイズは600-12、1000CCのサニーかカローラクラスでしょう。
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第2堰堤も、巻きちゃん(^o^)
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二又が現れました。まだ時間があるので左又へ進んでみました。
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20分進んで二又が現れましたのでここで戻ります。
右又を遡上すれば主脈へ出られると思いますが、今回は旧道へ辿り関山隧道に到達が第一目標です。
水脈がなくなり藪を漕ぎガレ場を登ると旧道へでましたが。
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アレッ、ソロの男性がいるのではないですか。まさか、今の時期に人がいるとはお互い驚きでした。仙台の菊○さんでした。帰宅してから気づいたのですが、後部ワイパーにメモがありました。喜んでいただき有り難うございます。
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山形側の隧道は近代遺産になっていますが宮城は音沙汰なしですね。
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風が山形側から吹き抜けて寒いです。
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早速、隧道左手の尾根へアタックして支尾根に登りここから主脈に出る考えです。
以前、少し登っていましたが、やはり藪に手こずります。
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辿りついた奥羽の主脈尾根はまさに藪尾根でした。
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旧関山隧道の真上までは尾根を外して進みました。
ここは鞍部となっており風の通り道、凄く寒かったです。
ここが「龍の髭」でしょうか、お見事でした。
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ヤセ尾根に注意しながら北へ進みます。
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先ほどの密薮から開放され歩きやすくなり、少し枝払いされた場所がありました。
ここが「休み処」だったのでしょうか。
天童郷土史研究会の浅井さんの推測では峰渡りの山頂直登ルートと山頂手前で南側に迂回するルートがあり、山形側は明瞭、宮城側は何とかルートが分かります。
奥州仙台領遠見記の文献によると「やらい張りし所」と記述されており、何らかの施設があったということです。
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関山山頂は色んなテープがありました。
前日浅井さんから、山頂標識が破損しれいると連絡がありました。やはりそうでした。
この標識は、関山愛林公益会のご理解をいただき4月に取り付けたばかりです。自然の摂理ですネ。(-_-)
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一息ついて下山します。山頂周辺はハッキリと道筋ができていました。最近は登山の方が多くなった証でしょう。
北面白山方面です。笹藪の下が「やらい張りし所」かな。正面の峰は807m、その手前の左手から登りました。
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ふかふかの落ち葉を踏みしめて、ここは宮城側の分岐。
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大ブナを通過。「大ぶな」の標識板は健在でした。
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峰渡り交差部でご夫婦の方が登ってきました。近々団体で登るそうで偵察にきたそうですが、もう2時半なのに登って来るとは…すぐ日暮れなんですね。峰渡り交差部はロープがあるものの落石の危険があります。
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急斜をくだり殉難之の碑に着き渡渉をしてR48に出て下れば駐車場到着。
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今回は趣向を変えて沢歩き、藪漕ぎして先人みちを辿る関山でした。
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久々に、折立の「おり久」に待ち時間なしで入店、カレーラーメンとみそラーメン、おにぎりはおっ家内の特注ですよ。(^o^)
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えっ、キノコはそれなりに山神様から恵みをいただきました。(^o^)
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ルート図です。blog_import_5379f48604e18[1]

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匿名さん…(^o^)

ようこそ…というよりどこかでコメントをみて名前を覚えておりますヨ。
関山旧道も峰渡りも、誰とも会わないだろうと思ってたのですがお好きな方々がいるんですね。関係者の尽力で峰渡りのルートは見違えるようになりました。以前は山形側から山頂は凄い密薮でした。ご計画の山形県境小山田新道までも関山からは藪で相当のアルバイトを強いられますね。
私も小網鳥林道は計画に入っており、この日は関山かどちらかの選択でした。
いつかは間倉山寒風山の登山道に至るルートを妄想しておりました。またのコメントをお待ちしております。

No title

あの砂防ダムのある沢の奥が気になっていましたが、滝もない穏やかな沢だったのですね。
ムキタケのお土産つきで、関山界隈のミニ探検ができ楽しかったでしょうね。

関山探訪は奧が深くなってきました

SONEさん
二つの砂防ダムは難無く巻きました。
左俣の沢を途中まで辿りましたが、ここを詰めれば小新川山に行けると…次の課題です。
滝もない穏やかな沢、最後は藪藪でした。(^^;)

No title

歴史好き&藪好きの本領発揮!?
仮説の検証をした上にキノコまでゲットとは、満足の一日でしたね。

No title

morinoさん
歴藪かな!?
仮説は皆さんの考察からです。
私的に、この歴史街道が誰でも周回できれば良いかなと。
キノコは副産物でしたよ。(^o^)
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