関山峰わたり・草刈機械を持って登る

【日  程】2015年4月18日(土)  【天 候】快晴だが黄砂
【山  域】 奥羽山脈のまん中 
【行  程】 9:50国道48スノーシェルタ→10:05坂下境目番所跡→旧国道交差部→峰渡り→大ぶな→関山→出羽国見晴所(仮名)→いっぷく所(仮名)→→国道48号線
 【メンバー】 関山フォーラム等の皆さんマロ7・ 計6名
この年になっての「人生初」はそんなにあるもんではないべな。
たまにはボランティア登山もいいかなと参加しました。
すぐさま始まる急登、リュックと草刈機械の重さが肩に食い込み、んん、勇み足したかなって…でも、頑張るオンツァン。
そして、以前から気にかけていたところにも降りてみた。
イワウチワロードに目をひかれて陸奥と出羽の国をつなぐ古道を歩いた一日でした。
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4/29に「関山峰渡り」の行事があるのですが、下見作業ということでボランティアで参加しました。
出発地点に作業資材を置いて、山形側にデポ車をきます。
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作業隊はルートの障害物の撤去をして安全確保です。
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峰渡りの出発地点は、「関山版番跡」ここに、山形側と同じ表示板を取り付けます。
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私は、国道から沢に降りて浅井さんが資材を降下。
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今日の3点セットは、「背負子」と「表示板」と「草刈機械」です。
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予定どおり、設置完了しました。
表示内容は、「峰渡り・江戸期の道」となっています。
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皆さん、倒木ブナを切断して渡渉の仮橋を作っています。
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番所跡からはすぐに急登、私が持参しましたロープをセットであとは楽チンでしょうか。
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まさか、4月にキノコをいただくなんて。ヒラタケでしょうか大きいのだけいただきました。
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旧国道と峰渡りの交差部はかなり崩落しています。ここは通過しないほうが懸命です。
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交差部から西側へ行った所に梯子を設置、ここから峰渡りへ登ります。
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いつもここを通るたびに思っていたことは、転落している車の確認でした。
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ズームしても何の車種しか判別できません、おそらく、トヨタコロナか日産ブルーバードかなって・・・・???
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10分間の休憩なので、このときばかりと急斜面を降下。
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道路から30mは転落したでしょうか、運よくブナの木で止まっていましたが屋根はつぶれており乗っていた方はどうなったのでしょうか。
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長年の謎は解けました。「ダットサン1200デラックス」のエンブレム、S40年頃の車種でしょうか。
タイヤは外れていましたが、昨秋に下の沢を遡上したときにこの車のサイズのタイヤを見つけています。
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峰渡りは「イワウチワロード」これが山形側まで続いていましたよ。
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作業部隊のオジサン方とおしゃべりした。
その昔、山形から作並まで一斗の米を運ぶと一升のお手当てだそうだ。
それでも生活の足しになっていた。
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そして高度を上げると、北面白山の矢尽が見えてきた。
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ボリュームたっぷりのイワウチワに感動です。
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やがて、関山山頂近くになりヤブが濃くなり、眠ってた草刈機械のエンジンがうなる。
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山頂は残雪があり草刈機械はお休み。
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関山山頂から眺める南側の光景がいい。
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そして、唖然としたのは言うまでもない。
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山頂標識は昨秋に熊のより破損していたのを確認していたが、また破損が進行していた。
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堂木沢山の見える場所は月山、葉山が見えると浅井さんが言う。
あいにく黄砂で展望はイマイチ、心の中では「出羽の国展望所」はいいかなと。
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そしていつもの休憩場所で一休み、ここはルートで唯一のくぼ地で風も除けている。
ここは、何と呼んだらいいのかと…。やはり、いっぷく所かな…なんて妄想をめぐらすのも山歩きが楽しい。
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下山途中に穴ぐらを発見、枯れ葉が濡れていたので、動物は直近に出入りしたのだろうか。
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倒木とチェンソーで格闘のエンドウさん。
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沢を渡れば旧道である。
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山形側の「峰渡り」表示板は雪がとけて宙吊りになっていた。(4/19本日、補修作業完了です)
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作業完了です。
写真中央のTさん、何と驚くなかれS6年生まれというから80台半ば、体力テストでは59歳の数値だそうです。
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帰りは作並の岩松旅館さんのご好意で天然岩風呂に浸かり汗を流しました。
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背負子と草刈機械の重量に耐えながら峰渡りを歩くことができました。
刈払いして幾分か歩きやすくなったと思います。
歴史を潜めた「関山」、これからどんな秘話が出てくるか楽しみのひとつでもあります。
同行のみなさん、お世話様でした。

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No title

お久しぶりです。29日抽選に外れました。毎回なんです😭😱
報告が楽しみです(*^^*)

峰わたり

オカチャン
何とぉ~しばらくですねぇ~。
コメントがなかったから海外にでも行ってたのかと…???
お元気で何よりです。
29日は100名を超える申し込みがあったそうですよ。
あらら、毎回、抽選に外れていますか。
次回はまわってきそうですよ。
ご案内必要なときには声がけしてください(*^^*)

立派なヒラタケ

立派なヒラタケですね。ボランティアのご褒美でしょうか。

ヒラタケいいですねぇ

N田さん
ヒラタケは条件さえよければいつでも生えるようですね。
ボランティアのご褒美は皆さんとの触れ合いでした。
ヒラタケは2ヶいただき食しましたよ。

No title

ヒラタケのお土産付きでイイお駄賃になりましたね。
刈払いへのささやかなご褒美ですかね(笑)
落ちている車、昭和36年発売のブルーバードですね。
当時は今のような性能の良いクレーンが無かったので放置されたままだったのでしょうね。

ヒラタケは取り残した

SONEさん
ヒラタケは夕食のご馳走になりました。
背負子を背負って歩きながらの 草刈は難儀しましたよ(笑)
昭和36年のブルーバードでしたか。ネットをみたら現役で走ってる車もあるようです。旧道入り口の碑と関係あるのかなと…??。
当時、親父の6トントラックにはウィンチが付いていたからこの程度は上げられたと思ってきました。

No title

刈り払い、ご苦労様でした。(^^)/

重たかった…

みいらさん
たまにはこんな山歩きもいいもんだ。
よその山で刈り払いしています、みなさんの苦労がわかりました(^^)

お疲れ様でした

これで随分歩きやすくなりましたね。
峰渡りが多くの人に知られて、歩かれて、歴史と先人の苦労が理解されますね。

峰渡り

morino さん
あの、山形側から山頂に向かっての激ヤブは快適になっています。
宮城側の旧道との交差部のガレ場は危険ですから、旧道トンネルに向かって200m地点に仮梯子が取り付けられました。
29日の参加者はどんな気持ちで歩くのか、思うだけでも嬉しいです。

No title

重い草刈り機械を背負ってのボランティア草刈り登山、ご苦労さまで゜した。
歩きやすくなった「関山峰渡り」ぜひ歩きたいです。
あら? お願いすれば案内してくれるの?嬉

今日はパソコンが機嫌がいいらしく、活動の様子、読ませていただきました。
相変わらずすごいところへ行ってる!

七ツ森の石碑のこと、教えていただいてありがとう!
これで知ったかぶりが出来ます(笑)

No title

初めまして、当方昭和30年代の国産車ならば知らない車は1台も無い旧車馬鹿です。一昨年あたりからあの転落車輛について話はありましたが、こんなに間近で撮影して頂き深謝申し上げます。

 さて車ですが、年式は1963年式(昭和38年式)ダットサンブルーバードP312型のデラックスですね。全くの同型車(色も全く同じ)が愛知県のトヨタ自動車博物館に有ります。

 車は初代ブルーバードの最終型で同年9月より次の型のP410型が発売されます。初代ブルーバードは昭和34年(1959年)8月が発売で、昭和36年はマイナーチェンジです。(P311型)

 タイヤが無いので初めは当時廃車になったタクシー上りの廃車を積んで居たらワイヤーが緩んで谷底に転落させたと思いましたが、「それらしい車のタイヤが有る」との事ですから本当の事故だろうか?と思います。

 因みにタイヤは5.60-13-4PRで白い線が入って居たらまず間違いなくその車用と見て良いでしょう。写真がもしあれば確実に鑑定できます。それとホイールにボルトをねじ切る跡があれば先ず100%転落事故でしょう。

 当時はシートベルトが無い時代ですから、このレベルとなるとかなりの確率で死亡事故となるでしょう。それとナンバープレートが無い所を見ると廃車手続きを確実にしましたが、何故引き揚げなかったかが疑問が残ります。当時この程度の高さなら平気で引き上げは出来ました。

 それと交通事故の石碑とこのブルーバードは全然関係が無いと見て良いです。事故現場が全然違うし、確か若い教師が犠牲になったとあり、当時の給与状況では中古とは云えこのモデルは買えませんし、親父(故人で同じ教師)と同世代の方ですから、逆立ちしても無理でした。

No title

  それと何れ行く時こんな所を撮影して頂くと確実な分析が出来ます。

 エンジンが残って居るか? ホイールを固定する部分(ドラムブレーキの所)をアップで。なるべく正面から前後、

 可能ならばその落っこちたタイヤらしい物(サイズが判るとより確実に分析できます)

 車は山形県側を向いて落ちているのか、それとも宮城県側か?ですね。

 推測ですが右側にハンドルきって転落なので、登り側(山形側)ならば結構なスピードで登ってハンドルを切り損ねた、時間帯は夜間ないし早朝。反対側ならば、ブレーキを多用しすぎてペーパーロック起こしたかタイヤがパンクしてあらぬ方向へハンドルが取られてダイブしたが有力かな?と思います。

 疑問点は先に来た通りナンバーが無い事、タイヤが無い事です。実はトンネルの宮城側の鉄柵は昭和48年設置なので幾らかの車が廃止後も走って居ました。48年とすればブルーバードも10年だから廃車が出ても不思議ではなく、廃車満載のトラックからの転落がぬぐい捨てられません。

 其れがタイヤやホイールが剥がれた様な跡が有れば事故は間違いなしとなります。ナンバーが無いが引っ掛りますね。当時でも転落車輛で引き上げられないならば、届出出せば返納しなくとも廃車扱いをします。後ろ周りの正面が決め手になります。

 

yamanbaさん

yamanbaさん
いやぁ、自分の荷物と草刈り機械の重さは応えましたね。
「関山峰渡り」案内は…OK僕乗よ。(嬉笑)
そういえばこのところヤブ山が多いですね。
昨日も、泉ヶ岳の山麓を漕いできましたよ。
「七ツ森の石碑」あれだけしかわかっていませんので、ご査収ください。

関山のダットサン

羽前の国の旧車狂さん
返事がおくれました。そして、専門家の方がようこそ当ブログへおいでいただき感謝申し上げます。
これでこの車の年式、車種が特定できましたね。
愛知県のトヨタ自動車博物館の画像を見てきました。
ブルーバードは510時代からしか知っておりません。最近、生産中止になりましたか??
この時代だと親父がコロナの中古に乗っていましたので興味あり。いつかは車種、特定しなければと思っていました。

①4輪ともホイールが付いてないですね。廃車タクシーの線も大有りでしょうが、座席からメーター関係は見られませんでした。
②昨秋に下の沢で見つけたタイヤは5.60-13ではなく、6.00-12でした。(2014.11.8関山界隈の欄を参照してください)タイヤだけでホイルがないので別物でしょうか。
③ホイールのボルトをネジの破断面を確認してませんので??転落事故かはますます疑問になってきますね。 転落後にタイヤが取り外されたことも考えておかなければなりません。
④何故引き揚げなかったか、道路管理者の指示もなかったか。交通事故なら関係者がわかるから指示も出きる。ますます、廃車説が濃くなってきますね。
⑤旧道入口の交通事故の石碑とこのブルーバードが関係あると思っていましたが関係なしですね。
交通事故現場がどこかわかりません。犠牲になったひとりは大手商社の方であったようです。
⑥撮影要点の分析ですね。写真は外観だけ四方からのみ、 エンジンが残って居るか再確認しましたが??? ホイールを固定する部分は???
⑦車は、宮城県側を向いていますね。
⑧転落原因、宮城県側を向いていますので反対車線を乗り越えることになりますね。向き方だけで進行方向を判断できません。屋根はベッシャリ潰れていましたから回転してる??
 直線道路なのでハンドルの切りそこね??結構なスピードは可能な道路。ペーパーロックは宮城、山形のどちらから来ても坂道は下ってないから???
何らかの原因でダイブしたのは間違いないでしょうね。
⑨こうしてみると疑問だらけ、いろんな推測がでますね。
親父が健在ならば、このことは判明できたと思います。この当時は山形へ空缶(缶詰缶)を運んでいました。
今度、機会があればポイントを絞ってみてきますね。

No title

マロ7さん

 御返事有難うございました。

 タクシー説はほぼ「ゼロ」です。自家用車である事は間違いありません。当方がタクシーと見たのはボデーカラーがグレーブルー又は青緑とと云った当時のタクシーカラー1色に見えたのです。そしてバンパーにオーバーライダーが無いので余計です。(此れは朽ちて無くなったみたいです)

 デラックスに間近の写真を頂けたので間違いなく自家用と見ました。基本的にタクシーは原則として仙台も含めてスタンダードです。まぁタクシーだと寿命が短いから昭和41年辺りには廃車になっても不思議でなく廃車を積んだトラックが落っことしたと見ました。

 然し今改めて見ますと、仙台側の入り口閉鎖は昭和48年。43年10月1日以降は無法地帯で、48年に旧隧道内で「リンチ事件」が発生し閉鎖になりましたが、その間無法者が事故を装ってあたかも死亡事故を引き起こしたかの様に廃車を買い上げてわざと落っことして「今も遺体が見つからず幽霊となってさまよう」みたいな伝説を作ったのかも知れません。

 直線道路である事が判りかなり引っ掛る物がありますが、まぁ居眠り運転すればこんな道でも転落しますからね。今の所金を掛けた悪ふざけと見ました。

 昨年11月の記事拝見しました。タイヤは製造時期が推定で昭和46年~48年頃です。当時細い二重線のリボンタイヤが短期間流行りました。白い線が入ったタイヤは通産省が販売禁止命令を出したので廃止になりましたが(理由は知りたい場合後で詳しく書きます)あれを使ったのは、カローラ、パブリカ、サニー、ファミリア等ですね。

 ブルーバードの名前廃止は私は最近の車は判らないのでいい加減な事は書けないので伏せますが10年前後に無くなったと考えて居ます。シルフィーに変わったと思いますね。

No title

 それと、話は変わりまして写真拝見しますと、昨日5月2日11時前後に関山旧道の入り口に何名かの団体さんでいらっしゃった方の中に良く似た方がいらっしゃる様子で、もしかしてマロ7さんがいらっしゃるのでは?と思いましたがあの時黒いクラウンで来たのが私ですよ。私のお爺ちゃんの愛車を引き継いだのです。

 あの車、当時関山を何度か走って居ます。又栗子も走ったそうです。関山や栗子はお爺ちゃんは運転しませんが、当時わが市では市長公用車がポンコツの古い初代クラウンでクーラーも無く、当時の市長の奥方とお爺ちゃんの母親であるひいお婆ちゃんが仲が良く、貸してとなると簡単に貸しました。専属の運転手も居て、この方は今は親戚ですから、当時の話を聞きました。

 交通安全石碑ですが、此れは昭和42年に建てられその前年41年8月8日石碑近辺で若い男女2人があの付近で転落事故を起こし、設立者に「教職員一同」とあると聞いて居ます。その為若い教師であろうと見ました。

 親父は28年前43歳で急死し、概ねその亡くなられた方と同世代であるのは確かですが、(親父の方が若いでしょうが)彼らの稼ぎでは到底自家用車なんて夢の又夢です。
 親父が運転免許取得は昭和47年3月で、その後婿入りして名字を替えましたが昭和41年は学生だし先ず運転免許は現実的でない上、考えもしません。よって2人の故人は多分スクーターで事故を起こしたと思います。当時スクーターに2人乗りは常識でしたし。

ブルーバード

羽前の国の旧車狂 さん
いかがなゴールデンウィークでしたか。
またまた、返事が遅くなりました。
これでタクシー説は「ゼロ」ですか。
当時はデラックスという車がいろんな車種にありましたよね。
仙台側の入り口閉鎖は昭和48年、私は43年の夏に東北各地を走り関山旧道を自転車で走っています。幽霊騒ぎの真っ最中の時期、車は来ないしトンネル上から背中に水滴が落ちてゾクゾク、48年の旧隧道内「リンチ事件」は知りませんです。当時はギャランからGTO2000に乗り換えたばかりです。
 昨年11月の沢遡行では懐かしい細い二重線のリボンタイヤを見て上の廃車のタイヤかと判断してしまいました。
 5月2日11時栗子山を登っていましたから別人ですね。関山も団体さんが来るようになりましたか。私に似た方は沢山いるようですよ。
黒いクラウン、いつかお会いできるでしょう。その時にはボンネットを開けてみたいものです。
 交通安全石碑は、若い教師ですか、いつも歩くたびに手をあわせます。
羽前の国の旧車狂 さんのお父さん、43歳で急死でしたか。私の父は53歳でしたが、皆さんご苦労なされましたね。
山も萌から青葉に変わろうとしています。関山は大好きな山稜です。

No title

  返事遅くなりました。

  当方GWは4日以降は仕事でした。アンマリ休んだ気がしませんねぇ~今年は。

 さて、旧道が現役末期の頃を知るとなると其れなりのお年と見ました。私は親父の年齢から概ね推測できるでしょうが昭和48年生まれの42歳です。親父は存命なら4月で71歳になる筈です。

 旧道でのリンチ事件ですが、当家の土地を借りている方から聞きました。仙台の国道維持管理関連会社に務められた方で定年を数年前されましたが、その方から聞きました。

 マロ7さんのブログにヒントがあり昭和48年に仙台側の工事の記述があり、その方も48年か49年と話して居り、確実に48年であると断定しました。当時社会問題となった暴走族が旧道に襲来して、敵対グループに対して暴行をはたらいたそうです。

 無論43年に廃止以降は幽霊見たさの不届き者、アベック、山菜取りと云った人たちがかなり旧道に来たそうです。

 その中にやはり変人が居てもおかしくなく、おそらく昭和46年辺りに廃車したブルーバードを故意に投げ捨てて幽霊騒ぎを大きくした可能性が今私の中では濃厚です。ナンバーが無い、タイヤが1本も無いはおかし過ぎます。本当に転落ならそんな事故で傷んだタイヤは30Mも下って取りに行くメリットはないし、ナンバーは谷底に堕ちて拾い上げられないと事故証明書を持参すれば直ぐに廃車手続きをしてくれます。30M程度で引き上げられない事も昭和30年代であってもおかしいです。

 最後に山形県側なら沼沢、猪野沢、関山の悪戸、休石、大瀧、赤坂。そして宮城県側は作並、秋保の土地は私を呼んでいるみたいで、ドライブしたくなります。

関山の廃車の謎

羽前の国の旧車狂さん
こんばんはー。関山ダットサンのお陰で身近になりましたね。 (笑)
GWも休まず仕事でしたか。私は暦どおりのハーフタイムですがもっと休みが欲しかった。
旧道はS43の夏、高1の時に自力走行しましたよ。その以前はトラックの助手席に乗って通っていますがが、9日の土曜日に山形側からトンネルまで往復しました(ブログアップ済み)。朽ちたガードレールだけが名残をとどめていましたね。42歳といえば仕事も何もかも面白い時期ではありませんか。(私がそうだった)親父さんがいれば、色々と教えていただくこともあるし頼りになったでしょうね。(私も思う)
 旧道でのリンチ事件は48年でしたか。いまとなれば、山形側は木製の格子なのに、宮城側は強固な鉄格子の設置がこれと関係するのでしょうかな。
 なるほど、廃車したブルーバードを故意に投げ捨てて幽霊騒ぎを大きくした可能性にうなずけますね。ナンバーが無い、タイヤが1本も無いには同感です。
 山形県側の沼沢は堂木沢山に登ってます。猪野沢からは明治期に造られた幻の小山田新道を歩いていますよ。
関山の大瀧(R48のドライブインかな)は知ってますが、悪戸、休石、赤坂は??
私は早く週末が来るのを待ち遠しくしている、おんつぁんなのです。

No title

さて、隧道に建て掛けられている格子ですが、一応おさらいとして、宮城県側は昭和48年に旧建設省の手によって掛けられました。

 一方山形県側は平成20年に掛けられました。管轄役所は不明ですが近代産業遺構指定を機に掛けられまして、それ以前は格子はありませんでしたし、時折ジムニーとかパジェロミニの様な車が宮城県側まで行った話がチラホラ有ったんです。

 恐らく指定によって見に行く人が増えると見込んで危険防止で講じたのでしょう。

 地元の高崎小学校では平成10年より関山旧道を課外授業で利用する事が有りました。教師が冗談でクイズラリー最後に「幽霊に会いにトンネルへ」なんて書いた看板が有りました。
 因みにこの話は職場で部下から聞きまして驚きましたね。

 悪戸、休石とは沼沢の次の地区です。元々は悪戸に旧R48が一部通って居たみたいです。赤坂は大瀧の奥ですね。

近代産業遺構

羽前の国の旧車狂さん
山形県側の平成20年と比べると宮城県側の昭和48年は早いですね。
同じトンネルなのに、近代産業遺構指定の表示が宮城にないのはさびしい限りです。
高崎小学校の課外授業は嬉しい話ですね。
悪戸に旧R48が一部通ってたとは驚きです。
悪戸は上と下があるようですが 、川が氾濫する地域かなと思いました。
プロフィール

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Author:FC2USER696672BEO
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