浜辺のヒラタケ・七ヶ宿・芭蕉・クラス会準備
週末の2日間の雨は嫌ですね。
一日くらいは晴れ間があってもいいのですが両日とも雨となると…天気予報の大当たり。(=゚ω゚)ノ
土曜日午前は県南部に行って、午後は仙台で久々の歴史勉強会。
今日の日曜日は、孫達軍団がやってきて、ペースにはまってしまう。
雨上り、白鳥を見に行こうとなって、海辺の沼へ。
あれっ、キノコの匂だなって思ったら大型のキノコだ。
よく見るとヒラタケでは…。

一日くらいは晴れ間があってもいいのですが両日とも雨となると…天気予報の大当たり。(=゚ω゚)ノ
土曜日午前は県南部に行って、午後は仙台で久々の歴史勉強会。
今日の日曜日は、孫達軍団がやってきて、ペースにはまってしまう。
雨上り、白鳥を見に行こうとなって、海辺の沼へ。
あれっ、キノコの匂だなって思ったら大型のキノコだ。
よく見るとヒラタケでは…。

「ひらたけ」の説明です。
「ひらたけ」には種類があります。別名「四季きのこ」と言われて、年中発生しているように 思われていますが本当の「ひらたけ」は、晩秋から採取できるものを言い、春から秋にかけて 採取できるのは「うすひらたけ」なのです。一般的に採取され「ひらたけ」と呼ばれているのは、 「うすひらたけ」のことをいいます。・・どちらも美味しいきのこです・・ 。
「ひらたけ」(寒たけ)
晩秋ブナの枯れ木などに発生する見事な大きさの「きのこ」です。肉厚も十分で、 ボリュームがあり、折り重なって発生します。色は灰黒色が多いのですが、中には灰白色、茶褐色も 時にはあります。一ヶ所に群生し、見つけると10kgは採取ができます。「ひらたけ」は人工栽培が 盛んで、「栽培品」は姿形が「天然品」に似かよい、「しめじ」と命名されて販売されています。 ・・・・だめ~って、シメジが叫んでいます・・・・..
孫1号も初めてのキノコを見て驚き。

さてさて、定番となりました県南部行きですね。
秋も深まり初雪はないが霜が降りたそうです。

義母は元気ですが、娘たちを覚えてる…(´・Д・)」飼い犬の名前は時おり喋りますが。

降雨のなか仙台に戻り、仙台郷土研究会の講演会にお邪魔しました。

講師は、芭蕉の研究では第一人者の京野先生,、お酒の席でも楽しいお方です。
テーマは「奥の細道・宮城のこぼれ話」仙台から塩釜に来て芭蕉はどの道を辿ったか、そしてどの宿に泊まったかなど…。

どうやら、塩釜での宿泊宿は宮町の表坂入り口でした。
今は市役所の駐車場になってますが古くは大手銀行が建っていました。
江戸期には立派な「治兵衛のお宿」が塩釜神社入り口にあったようです。

芭蕉は宿泊した翌日は、多賀城へ、野田の玉川、壺の石碑を訪ねて塩釜に戻り松島まで船で行くそうです。
松島での宿は、現在の国道脇、瑞巌寺入り口の「熱田屋」だそうですね。

芭蕉は忍者説がありますが…。
一説では、漆沢から銀山温泉へ辿る計画だったそうですが、ここは急坂なので鳴子を選んだらしい…。
今回はこの確認をできなかった。奥の細道の復刻版だそうですが、少ししか読めません。(。>ω<。)ノ

日曜日は久々にゆっくり。
でも、行政区の宿題、今週土曜日の47年ぶりのクラス会の資料準備と野暮用をこなしました。

「ひらたけ」には種類があります。別名「四季きのこ」と言われて、年中発生しているように 思われていますが本当の「ひらたけ」は、晩秋から採取できるものを言い、春から秋にかけて 採取できるのは「うすひらたけ」なのです。一般的に採取され「ひらたけ」と呼ばれているのは、 「うすひらたけ」のことをいいます。・・どちらも美味しいきのこです・・ 。
「ひらたけ」(寒たけ)
晩秋ブナの枯れ木などに発生する見事な大きさの「きのこ」です。肉厚も十分で、 ボリュームがあり、折り重なって発生します。色は灰黒色が多いのですが、中には灰白色、茶褐色も 時にはあります。一ヶ所に群生し、見つけると10kgは採取ができます。「ひらたけ」は人工栽培が 盛んで、「栽培品」は姿形が「天然品」に似かよい、「しめじ」と命名されて販売されています。 ・・・・だめ~って、シメジが叫んでいます・・・・..
孫1号も初めてのキノコを見て驚き。

さてさて、定番となりました県南部行きですね。
秋も深まり初雪はないが霜が降りたそうです。

義母は元気ですが、娘たちを覚えてる…(´・Д・)」飼い犬の名前は時おり喋りますが。

降雨のなか仙台に戻り、仙台郷土研究会の講演会にお邪魔しました。

講師は、芭蕉の研究では第一人者の京野先生,、お酒の席でも楽しいお方です。
テーマは「奥の細道・宮城のこぼれ話」仙台から塩釜に来て芭蕉はどの道を辿ったか、そしてどの宿に泊まったかなど…。

どうやら、塩釜での宿泊宿は宮町の表坂入り口でした。
今は市役所の駐車場になってますが古くは大手銀行が建っていました。
江戸期には立派な「治兵衛のお宿」が塩釜神社入り口にあったようです。

芭蕉は宿泊した翌日は、多賀城へ、野田の玉川、壺の石碑を訪ねて塩釜に戻り松島まで船で行くそうです。
松島での宿は、現在の国道脇、瑞巌寺入り口の「熱田屋」だそうですね。

芭蕉は忍者説がありますが…。
一説では、漆沢から銀山温泉へ辿る計画だったそうですが、ここは急坂なので鳴子を選んだらしい…。
今回はこの確認をできなかった。奥の細道の復刻版だそうですが、少ししか読めません。(。>ω<。)ノ

日曜日は久々にゆっくり。
でも、行政区の宿題、今週土曜日の47年ぶりのクラス会の資料準備と野暮用をこなしました。
