白瀬中尉南極隊の宮城県人
6月にブログアップしました白瀬記念館でのこと。
これです。→http://maro70.blog.fc2.com/blog-entry-543.html
白瀬中尉のお供として、2名の宮城県人がいて驚きました。
ルーツを探したいと思って忘れていたところ…エッ…。
![DSC08307_R[1]](https://blog-imgs-86-origin.fc2.com/m/a/r/maro70/201511201846293b8.jpg)
これです。→http://maro70.blog.fc2.com/blog-entry-543.html
白瀬中尉のお供として、2名の宮城県人がいて驚きました。
ルーツを探したいと思って忘れていたところ…エッ…。
![DSC08307_R[1]](https://blog-imgs-86-origin.fc2.com/m/a/r/maro70/201511201846293b8.jpg)
所要で県中北へ。
某旦那さんとの会話のなかで…。
私の父親と同じで、大正15年の寅年生まれらしい。
いたって元気ですが体力はそれなりに低下しているって、でも会話はOK.
どうやら、陸軍航空隊らしく、戦後は運輸業に携わったとか。
戦地には行かなかったのですかと聞いたら…いや、私の父は南極に行った。と、話が飛んだ。

えっ、宮城では二人しかいないんですよ。そのひとりの息子さん。ビックリ
今年の6月ににかほ市の白瀬記念館を見学して、宮城県人が二人隊に入っていたことは知ってはいましたが、どこの方だか知るよしもなかった。ひょんなことからお二人のうちの丹野善作さんが石巻出身ということがわかった。

そしてネット検索したら、丹野善作さんが出てきた。
もうひとりの三浦幸太郎さんはいまだわからない。
【一八七一年石巻市渡波(宮城県)で生まれる。明治四十五年(一九一二)一月十六日、日本最初の南極探検隊を乗せた木造機帆船「開南丸」(二○四㌧)が、南極ロス海のホエールベイ(鯨湾)に到着した。日本人が初めて未知の白い大陸に足跡を記した歴史的な瞬間を丹野は体験した。丹野は、船長の野村直吉に次いで海上隊では二番目の責任者だった。】

そして、旧河南町へ移動。
あまり来たこと?がない町なんですが、平成 年の宮城県北地震の震源地でもあります。
この地震の震源は旭山に潜る断層の破断で大きな破壊を生みました。
いつかは…と思ってましたが、県内ながら遠いところでした。
桜の時期がいいようですね。

駐車場からそんなに歩きもしないで、濡れ落ち葉を踏みながら山頂へ辿れます。

手入れの行き届いた山頂広場は気持ちがいい。

三等三角点にタッチする。

東屋では、私からみればお兄さんお姉さんが休憩中、毎日来ているそうだ。

昭和10年に県立公園として松島に続き指定されたというから名所なんでしょう。

地殻変動の測定点、この旭山 曲は南へまっすぐ伸びて鳴瀬の野蒜までは地図に図示されている。
素人的に考えても、海底にはその延長があり、仙台湾内は断層でしょう。

遠く南側を眺めると、大高森が識別できた。

日本一桃太郎神社。

観音堂。

観音堂内部。

今期、紅葉の見納めだろうか。

場所を移動して古刹へ、銀杏と大杉に目を奪われる。


間違って、大邸宅へ。明治初期の蔵だそうです。

秋の風物詩といえば、ススキに秋桜(コスモス)、フジバカマにオグルマ草などが定番でしたが…。
ススキは日本の古来種ですが、「セイタカアワダチソウ」の増殖で、日本全国、あの毒々しい山吹色に染まっています。。
日本人は、このススキの穂を家畜用の飼料にしていたし、丈夫な茎は屋根に用いられました。
昔の民家は、屋根が草で葺(ふ)かれ、その草葺き屋根に使われる植物は藁(わら)かススキです。
お昼休みに、逆光ながらススキを撮ったら…自分ながらイイねって思いました。

某旦那さんとの会話のなかで…。
私の父親と同じで、大正15年の寅年生まれらしい。
いたって元気ですが体力はそれなりに低下しているって、でも会話はOK.
どうやら、陸軍航空隊らしく、戦後は運輸業に携わったとか。
戦地には行かなかったのですかと聞いたら…いや、私の父は南極に行った。と、話が飛んだ。

えっ、宮城では二人しかいないんですよ。そのひとりの息子さん。ビックリ
今年の6月ににかほ市の白瀬記念館を見学して、宮城県人が二人隊に入っていたことは知ってはいましたが、どこの方だか知るよしもなかった。ひょんなことからお二人のうちの丹野善作さんが石巻出身ということがわかった。

そしてネット検索したら、丹野善作さんが出てきた。
もうひとりの三浦幸太郎さんはいまだわからない。
【一八七一年石巻市渡波(宮城県)で生まれる。明治四十五年(一九一二)一月十六日、日本最初の南極探検隊を乗せた木造機帆船「開南丸」(二○四㌧)が、南極ロス海のホエールベイ(鯨湾)に到着した。日本人が初めて未知の白い大陸に足跡を記した歴史的な瞬間を丹野は体験した。丹野は、船長の野村直吉に次いで海上隊では二番目の責任者だった。】

そして、旧河南町へ移動。
あまり来たこと?がない町なんですが、平成 年の宮城県北地震の震源地でもあります。
この地震の震源は旭山に潜る断層の破断で大きな破壊を生みました。
いつかは…と思ってましたが、県内ながら遠いところでした。
桜の時期がいいようですね。

駐車場からそんなに歩きもしないで、濡れ落ち葉を踏みながら山頂へ辿れます。

手入れの行き届いた山頂広場は気持ちがいい。

三等三角点にタッチする。

東屋では、私からみればお兄さんお姉さんが休憩中、毎日来ているそうだ。

昭和10年に県立公園として松島に続き指定されたというから名所なんでしょう。

地殻変動の測定点、この旭山 曲は南へまっすぐ伸びて鳴瀬の野蒜までは地図に図示されている。
素人的に考えても、海底にはその延長があり、仙台湾内は断層でしょう。

遠く南側を眺めると、大高森が識別できた。

日本一桃太郎神社。

観音堂。

観音堂内部。

今期、紅葉の見納めだろうか。

場所を移動して古刹へ、銀杏と大杉に目を奪われる。


間違って、大邸宅へ。明治初期の蔵だそうです。

秋の風物詩といえば、ススキに秋桜(コスモス)、フジバカマにオグルマ草などが定番でしたが…。
ススキは日本の古来種ですが、「セイタカアワダチソウ」の増殖で、日本全国、あの毒々しい山吹色に染まっています。。
日本人は、このススキの穂を家畜用の飼料にしていたし、丈夫な茎は屋根に用いられました。
昔の民家は、屋根が草で葺(ふ)かれ、その草葺き屋根に使われる植物は藁(わら)かススキです。
お昼休みに、逆光ながらススキを撮ったら…自分ながらイイねって思いました。
