関山峰わたりの整備作業・やらい張りし~大峠・

【日  程】2018年4月21(土)  【天 候】快晴
【山  域】 奥羽山脈のどまん中 …関山
【行  程】 国道48スノーシェルタ→坂下境目番所跡→旧国道交差部→峰渡り→大ぶな→やらい張りし所→関山・大峠(日向山)→出羽国見晴所(仮名)→いっぷく所(仮名)→乱川渡渉→国道48号線
 【メンバー】 関山フォーラム等の皆さんマロ7・ 計15名
今日は今月30日に行なわれます関山フォーラム協議会主催の「峰渡り」行事のルート整備にボランティアとして参加です。
天気はいいようだが暑くなる…と、虫も沢山かな。
昨年から作っておいた「やらいはり所」の出番が回ってきたよ。
自宅を出る時、連れて行ってもらえないと悟ったマロ子の表情はさえなかった。ゴメンナサイ ヽ( ´_`)丿
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まずは、山形側国道48号線と旧道の交差部にあたる下山口にデポ車を置いた。
行ってみてビックリ、ここは雪捨て場となり大量の残雪がありここからは徒歩になります。
そして自転車が…何と、宮城側に車をデポして自転車で山形側に移動、嶺渡りを行うそうです。
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今日の作業員は何と昨年の1.5倍、関山フォーラム協議会の意気込みが感じ取れます。
かねてより、「やらい張り所」への通行を計画していた我々の実現の時がやってきました。
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草刈機4台の部隊となって、まずは広瀬川を渡渉します。
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「関山街道開鑿受難の碑」は50年忌の大正・峰渡りの起点はR48脇にある杉の木がある。
関山隧道開鑿受難之地、昭和4年(1929)50年忌を機会に発願され、関山養泉寺住職「中里泰雄」が浄財を募った。
不正形5角柱 高さ2.8m 幅15~30cmの大きさで、正面は 関山街道開鑿受難之地
日本ボーイスカウトの父とも称される、子爵 三島通陽(ミチハル)書。 
裏面は 明治13年7/21爆死せる23名の街道受難者50年忌に各方面の賛助を得て浄財の喜捨を広く十方仰ぎ建立す 
 発願者 中里泰雄 協賛会 高崎村 今野久一
山形側は乱川の大滝不動 滝見ドライブインに大正15年に関山新道開鑿受難の碑があります。
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爆発事故は明治13年7/21(1880)今から138年前のことである。23名の受難者のなかには身篭っていた28歳の「大江さだ」さんがいた。休憩していた方のタバコの火により岩石爆破用火薬40箱に次々に引火爆発した。ダイナマイトは、横浜から塩釜まで汽船で運ばれ塩釜にあった白石商会が扱ったようだ。
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今回は、宮城テレビさんが撮影に入った。どうやら、4月20日の金曜日18時からの放映らしい。
カメラレンズを向けられると、固まってしまう我がいた。(・Д・)ノ
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坂下御番所跡は宝暦7,8年(1757~1758年)まであったという。
御境目守(オサカイメモリ)として岩松長三郎は藩より家屋敷を与えられ、家来と2軒で居住したようだ。
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使用前の集合写真、今回はサングラスなしです。(笑)
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坂下からは、関山旧道の交差部まで急登、最初から草刈機械の重みにへたれます。ヽ( ´_`)丿
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画像はありませんが、峰渡りと旧道交差部は崩落が著しいのでここの通過は危険です。
以前のロープを撤去してありますので、西に100m進みアルミ梯子を登ってください。
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昭和30年代、関山街道では沢山の交通事故があったようで、現国道から風倉沢の橋(崩壊寸前)を渡り、旧国道となるすぐ左側に昭和41年に不慮の事故で帰らぬ人となった二つの霊を慰めるため、一年後に関係者が建立した石碑があります。(写真なし)
その反対側(南側)の道路下にはダットサン310、長年事故車両ではと、思われていましたが現物確認でスクラップ車と判断です。


関山峠はネットを開くと心霊スポットとして出てきますが、このあたりを踏んだ私はそう思いません。
数年前、このダットサンを調べていくうちに関山峠一家5人死亡事故が浮かびあがりました。
何気なく職場でこの話をしたら、某商店に勤務するS市の家族であることが判明しました。
昭和39年9月の日曜日(1963)、この家族5人は妹を自宅の留守蕃に残して関山隧道を通過か?通過前か判別しないのですが山形側で谷底へ転落してしまうのです。
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このような悲惨な事故もあり「関山峠の怪」といsて当時の地元新聞にはトピックス欄に女を乗せてふと見たらいなくなっていた事例が多々あったと掲載されています。
私はS43年7月に自転車でこの隧道を通ったのですが、照明はなく真っ暗、凸凹な路面と背中に滴り落ちる水滴にヒヤリ、通過の車もなかったので不気味であったことを思い出します。
しばらくして、トンネル内に幽霊話がもちあがり、人が立って、車に乗せてくれ…しばらく運転…誰も乗せていない。…と、なったようです。
隧道は昭和40年代後半閉鎖され、新トンネルが主力となり噂も消えたようですが、愛子事件帖にはしっかりと幽霊話が載っています。新道の開通により、仙台山形間は40分短縮され1時間半でいける。東日本大震災には大動脈となった。(画像は小)
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倒木などを排除して楽しく安全な山行となるように皆さん頑張ります。
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「おおぶな」
江戸期の古文書である仙台領遠見記には「坂の下より峠までは登りなりこの中ほどにおおぶなという所ありぶなの木数本あり」
ぶなの寿命は300年…この仙台領遠見記は今から300何前に書かれた。すでに大ぶながここにあったとすれば700年も越すぶな…にも思ってしまう。<計測2014.4  幹周り6.55m 直径2m>
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インタビューを受ける、発掘者であります浅井さん。
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手前の尾根の南側稜線には小山田新道が走る。その向こうには面白山から派生する山々、ワッ倉(船倉山)には胸を躍らせられる。
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山頂手前で作業部隊は「山頂班」と「やらい張り所班」と二手に分かれた。
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道形は残っており暑さのなか整備、このまま進めば「やらい張り所」という場所の出るのだ。
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この場所からは数年前に某登山家が、永楽通宝なる古銭を発見しているようだ。
古文書と古銭の位置づけから、「やらい張り所」、一服茶屋でもあったのか興味津々である。
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昨年は無かった残雪は山頂まで通じる回廊となっていた。
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これで数年来の計画が実践できた、皆さん笑顔です。
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そして、山頂へ辿る尾根にはもの凄い笹薮刈に奮戦、エネルギーを使い果たしたかな…。
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山頂付近はうす藪で良かったなぁ~。
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久しぶりに、お弁当をつめていただいた…が、車に冷凍飲料を忘れたのには…閉口(○´・Д・`)ノお湯を飲んでのどを潤したね。
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山稜をみながら皆さんで楽しい昼飯。
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山が好き…いえ、山よりも酒でしょう…∠( ^ o ^ ┐)┐ ヨォ…
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「関山」という山名はないが、ここは東根市関山という表示なのです。
登米伊達家の古文書には「大峠」…北村山郡誌には、伊達家2代目藩主の伊達忠宗が坂下より日向山に道路を開き小屋原に通ぜりと記載されている。と、すればここは「日向山」なのか?
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以前の山形側も凄い密藪だったが快適な山道に変わった。この日、高校生のグループも嶺渡りを歩いてたというから嬉しい。
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山形側、を下る。唯一の展望、ここは羽前国見晴所(仮名)。
時節は変われど江戸期の人々も同じ光景を見たのでしょう。
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山桜がきれいだった。
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乱川を渡渉すればゴール。
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来週30日に行われる「嶺渡り」は応募多数のようで人気の良さが伺える。
どんな方々が来るのだろうか、楽しみのひとつでもある。
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関山の嶺渡り、グーグルで上から見るとオムレツの形、先人たちの知恵に敬服する。
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今回も、作並温泉「岩松旅館さん」の湯に入った。快適快適に帰宅しましたぜ。
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ルートの核心部です。
広島さんからご提供いただきました。(アップは事後承諾ということでお願いいたします)
峰渡り平成30年4月21記録[1]

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昭和39年9月の日曜日

  気になりまして調べましたが、今ままで22日と書かれていたので22日が日曜日か?と思いましたが火曜日ですので近い所で20日でした。あの話何か進展有りましたか?・・・・それともやはりスクラップの不法投棄が正しいまま?

 それと私のブログにもありますが関山旧道山形県側は絶望的な雪山になって居ますね。流石のマロさんのお仲間でもあそこは越えられませんね。私も撮影だけしましたが旧道には沢山の宮城とか仙台ナンバー車が居たので多分お仲間だろうとは思いました。

  

昭和39年9月

羽前の国の旧車狂さん
昭和39年9月の日曜日はいつだったのでしょね。
この話は停滞のままです。
当時の地元新聞記者が現地に臨場してますのでこの方の話も聞きたい。
ダットサンはスクラップの不法投棄が正しいでしょう。
宮テレさんで今週金曜日の夕方に放映するかも…です。
   

お疲れさまでございました。

テレビ放映、録画予約しておきました。
スマホですが。

この道が開通すると、宮城県人の夢の大縦走、船形山→不忘山ができるようになるのでしょうか?寒風山のとこが無理なんでしたっけか。

ともあれ放映楽しみにしています。

お疲れさまでございました。

くまぷーさん
今朝の新聞の番組には掲載されてなかったなぁ~(笑)
宮城県人の夢の大縦走ですか。
船形山→不忘山のうち、北面白山と関山は夏道がないんですね。
小山田新道(極荒廃道)使えば、水分と北面白山だけですが、激藪だから冬季限定ですね。
寒風山縦走路はルートは大丈夫ですよ。
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