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2018地域交流会№2

2018.10/6 (土)菖蒲田浜避難所には懐かしい「大東館」の絵が飾ってある。
「大東館」は明治期の宮城の外賓浜館かな。戸長の猪狩章は仙台藩士だが養賢堂(仙台藩の学問所)を出て、150年前の戊辰戦争では負け戦ながら、活躍したらしい。松平県令は福井藩士であるが馬が会ったのか、菖蒲田浜海水浴場と開設と大東館の建設を5年の間になしとげた浜にとっては恩人である。
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今日の交流会は、外部講師を招いた。何しろ、地質関係の大学教授ながら海底遺跡に引き込まれてしまい、50歳で潜水士の免許を取得、花渕浜沖にある大根明神を100回も調査したから、もの凄い。
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大根明神とは…多賀城に政庁があった時代に、海産物の台所として位置づけされた花渕神社があった。
その東方沖数キロ先にに小島があって、貞観地震で海底に埋もれてしまった伝説…水深は数mから10mというが荒海の中にある。DSCN5677_R_20181007210459273.jpg


はじめは、地学の勉強から、スライドでは左下阿武隈山地、真ん中が仙台平野、右下が北上山地上は山形、秋田となる構図。
これでは、宮城は軟弱地盤なのがわかる。
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そんな地盤の中で、たびたびの巨大地震と津波が発生していた。
若いころ、ある社長と飲み干して教育論のなり、今の足りないものは地理と歴史と…意気投合したことが思い出した。
貞観津波と同じ津波が来ると叫びながらも一部の人にしか応じてもらえなかった。
3.11の1週間前にもある講座で同じことを資料に盛り込んで話をしたが…。
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海底にはかなりの遺構と見られるものがあったらしい。
まさに海底遺跡ですが、行政の手では見えないものに対する取り組みはまだまだである。
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台風の影響で蒸し暑くなって屋外研修へ。
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ガイドは I さん、福島出身ながらもう、浜弁は私以上の使い手。
仕事でもお付き合いがあったしPTA,そして今と、同舟の感じだ。
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諏訪神社の鳥居は3.11で壊れたが、こうして保存しているところがいいなぁ~。
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「五社明神」こと、「ごろぎっつぁま」。ここは招又という地名で、400年前の慶長津波でではここへ逃れて助かった伝説があった。
しかし、3.11の大津波では境内まで押し寄せて何人かの命が奪われてしまった。
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寂しげに「行人塚」があったが、いつの時代なのか知る由もない。
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菖蒲田浜海岸、手前の小島は立石、小学の頃は渡れたのですが、仙台新港が出来、沖防波堤の関係なのか砂が無くなってしまいザンネン。手前は行楽者のゴミ、山へ行っても海岸に来てもゴミを見かけるが日本の心は何処へイってしまいましたかな。
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11時半に避難所に戻って会食…。どうも、ごっつおうさまでした。
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食事して挨拶してくださいって…よし、私の菖蒲田論を言ってしまった。
皆さんは何もない菖蒲田浜といいますが、海水浴場は歴史ある宮城の財産です。
二つばかりお話いたします。
韮ヶ森は団地が造成され昔は42mあった標高は14mとなりました。
蒲生の日和山は日本一低い山ですが、韮ヶ森は日本で7番目に低いやまです。
別名はトゲの山→峠の山→東、西峠の下の字名がありますが、なぜ、韮なのか…韮畑があったのかはわかりません。
東側は砕石場で、大正初め幻の花渕築港の基礎として使われトロッコ軌道がありました。
昭和30年初めは代ヶ崎火力の造成へ砕石が供給されました。
宮城県内に韮の地名が5ヶ所あります。
もっと脚光を浴びてもいい山です。

二つ目は大東館です。
村長制度前は戸長制度がありました初代戸長は明治4年に太宰藤右衛門、明治16年和泉幸吉公選戸長、明治17年~22年まで官選戸長として猪狩章が47歳で就任し在任5年で菖蒲田浜海水浴場、大東館建設を建設しました。
本題です。
宮沢賢治が訪れて来たのはご承知のとおりです。
修学旅行で北上川を南下、石巻に宿泊、金華山へ海が荒れていて行かず。
船で塩釜に来るが、日帰りと先生の許しを得て、菖蒲田浜へ来ます。
塩釜から徒歩…いや、大代丸に乗って…大代から徒歩…それはわかりませんが、
約束を守らず、泊まって翌朝に人力車で帰ったのは驚きでした。
仙石線を利用して仙台で合流したそうですが。
大東館には何で来たかというと、塩釜に住む叔母の「平賀ヤギ」が塩湯治に来ていました。
叔母は、賢治が幼少の頃から教育係をしていたのです。
その夜、賢治は海に浮かぶ船の灯りを見て「銀河鉄道の夜」を創造したのでしょう。
今、塩釜で「は銀河鉄道の夜」は生まれたと宣伝していますが、通過しただけです。
この夜、大東館に泊まって、沖の漁火を見たのでしょうか。それとも満点の天の川を見ているのです。
ここで、拍手喝采で…挨拶は終わり。



瞬く間に、実りの秋を向かえていましたね。
裏の畑に行ったら、アケビがパックリ、思わず口にほお張りました。
甘い、秋味を確かめましたよ。
台風25号は風と暖気の余波だけがこちらを覆いましたが、山へ行けないストレスは貯まる一方ですな。
午前は、地域交流会、午後は、街道交流会の講座で「伊達重村」、資料のなかに300年前の地元の方の行動が出ていて眉唾ものでしたな。夜はお酒の交流会で…。
翌日は、鎮守様のお祭りで、社の奥の院まで行けば明治17年の奉納者名板が隠されていた。
山行かずでしたが、これで何とか帳消しですな。

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