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横須賀ストリート…戦艦三笠(その5)

横須賀へ滑り込む、意外と鎌倉からは近かったね。
でも、空模様が…ここでは、戦艦三笠と、船での軍港巡り、そして〆は「海軍カレー」だぜ。

記念艦「三笠」のプロフィル(海事遺産賞受賞)
1902(明治35)年 英国で竣工
1905(明治38)年 日本海海戦で歴史的勝利
1926(大正15)年 記念艦として保存
1961(昭和36)年 往時の姿に復元

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東郷平八郎元帥像。
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入り口には戦艦大和の46センチ砲弾。
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600円の入場料です。.
日清戦争に勝利した我が国は、下関条約により賠償として清国から遼東半島を割譲されましたが、強力な軍事力を極東に展開している露独仏三国の強い干渉を受け、遼東半島を清国に返還せざるを得ませんでした。
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欧米列強の軍事脅威から主権と領土を守るためには軍事力の強化が急務と痛感した時の政府は、戦艦6隻、装甲巡洋艦6隻を基幹とする「六六艦隊整備計画」を推進します。
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「三笠」は、英国ヴィッカース造船所に発注した6隻目の戦艦であり、明治35年(1902)3月に竣工、直ちに横須賀に回航され、日露関係が悪化し戦時体制に移行した明治36年12月、連合艦隊に編入され、その旗艦になりました。
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日本海海戦での勝利
戦艦・三笠は日露戦争で、連合艦隊旗艦として、旅順口攻撃、旅順口閉塞作戦、黄海海戦に参加します。
そして、日本海海戦でロシア海軍バルチック艦隊と交戦。
この時、日本海軍は、ありったけの軍艦を掻き集めた「連合艦隊」であったが、戦艦4隻、装甲巡洋艦8隻、巡洋艦15隻に留まるのに対して、ロシアのバルチック艦隊は戦艦8隻、海防戦艦3隻、装甲巡洋艦3隻、巡洋艦6隻と、戦力も日本が戦艦4に対してロシア側は戦艦8と、ロシアが有利であったようです。
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連合艦隊は秋山参謀と東郷平八郎司令長官の一致した意見によって、丁字戦法を採用。
世に「トーゴー・ターン」と呼ばれる大回頭を行い、バルチック艦隊の進路をふさぎ、約3時間の戦艦どうしによる砲撃戦が行われました。
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日本海海戦にて、ロシア・バルチック艦隊は撃沈16隻(戦艦6隻、他10隻)、自沈5隻、被拿捕6隻と大敗。
6隻は中立国へ逃亡し、目的地であったウラジオストクへ到達したのは巡洋艦1隻、駆逐艦2隻だけであった。
ロシア兵は戦死4830名、捕虜6106名となり、捕虜にはロジェストヴェンスキー提督、ネボガトフ提督も含まれていた。
対して連合艦隊の損失は水雷艇3隻沈没のみ、戦死117名、戦傷583名と軽微であり、大艦隊同士の艦隊決戦としては現在においてまで史上稀に見る一方的勝利となった。拿捕したロシア戦艦は、修理を行い、のち日本艦隊の所属にもなったという。
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現に、アメリカのタイムズ紙などは、日本海海戦(世界的には対馬海戦)で日本の大勝利を信用できず、確認のため、記事掲載を遅らせるなど、当初は日本の大勝利を世界が疑ったほどで、戦艦三笠では113名の死傷者が出ている。
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画像は三笠マストより猿島(こちらも人気が高い)を望む。
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太平洋戦争での連合艦隊司令長官になった山本五十六は、日本海海戦では少尉候補生として装甲巡洋艦「日進」にて戦闘に参加しており、左手の人差指と中指を欠損、左大腿部に重傷と言う傷を負っていた。
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私論です。バルチック艦隊の敗戦要因は見事な統合元帥のT字戦法が効果を期したと思うが、ロシア兵の戦闘意欲の低下が根底にあったのではないか。ヨーロッパからアフリカ、インド洋と回航してきたのでかなりの疲労が溜まっていたでしょう。
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そこへ脚気が蔓延(野菜不足)したようで、脚気なると戦闘意欲は低下するようだ。
一方、日本軍は野菜不足を補うために大豆からモヤシを栽培し食べていたようで、この差もあったのかなと…それが勝利に結びついたでしょうか。
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東郷元帥に逸話が残ってる。関東大震災では大火となった東京市街、迫り来る火の手を制御しようと立ち上がったのは退役し年老いた東郷元帥である。屋根に上り赤い○○○○を振り炎症を阻止し撃退したそうですよ。
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ここだけの話です。
赤い○○○○→は赤い腰巻です。
昭和の中頃まで、消防ポンプのない地域では火災になると赤い腰巻を振り火災を追い払ったという伝説が残っています。
赤い腰巻を振るということは、他人に知らせるために目立つ赤い布を振りかざすことで、人を呼び消火(破壊消防)に当たったので紹介されたしょうか。このことは文献にもあり実在していたたようです。

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