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2019関山峰渡・関山街道フォーラム探訪会

平成最後のお山。
【日  程】2019年4月29日(月) 
【天 候】快晴   
【行  程】 関山P~坂下番所跡~峰渡り交差点~旧関山隧道~戻る~峰渡尾根~やらい張り所~関山・大峠~羽前の国覗き所~いつぷく平~永晶橋P
【メンバー】 「関山街道フーラム探訪会…27名

明治15年に開通した関山隧道(宮城側)と明治初期まで「峰渡り」と呼ばれた古道の探索に今年も参加しました。
作並温泉の岩松旅館に集合して一路、関山トンネル・宮城側旧道入口に向かいます。
毎年一般募集されます探訪会が、超人気だが今回は市政だよりに載らないので応募者が少なかったようだ。
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歴史探訪「関山街道」は今回で10回目となりました。
西道と呼ばれるこの街道は、仙台からみると笹谷・二口街道と関山街道がありました。
仙台城の  手に迫る重要路線であるのにもかかわらず、安永3年(1774)244年前風土記御用書き出しによれば作並村、熊ヶ根村、上愛子村家臣団の配置が少ないと記されています。これは、軍馬を動かすのが大変で、急峻な関山であることが裏づけされます。
明治期は羽前街道とも呼ばれ、古くは天正年間…(1580年代)天童城主が最上義光の攻略を受けて関山を越えて愛子に落ち延びる記録があるようです。
それにしても、今日の快晴は胸が踊る。昨年から計画していた青麻山新コースがあったのですがこちらが先に決めていた。
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作並温泉の岩松旅館で受付、ミーティングして…1年に1回会える方もでてきた。
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一般参加者はマイクロバスに乗車…。
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坂下Pから出発です。あの桜の木あたりが関山旧道。
民間信仰の道でもあった、峰渡りの道は「表口湯殿山道中記」愛子村吉之助ほか5名参拝記録によれば、1847(嘉永元年)7/24~8/4まで12日間かけて出羽三山へ参拝したようです。
作並御番所検断 御役代  一人13文、坂ノ下御番所検断 御役代  一人3文、山形の小屋原まで一里半(実測一里)の江戸期の道です。
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広瀬川源流を渡渉します。
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坂下御番所跡。
関山隧道開鑿受難之地と刻まれています。昭和4年(1929)50年忌を機会に発願、関山養泉寺住職「中里泰雄」が浄財を募ったそうです。
不正形5角柱 高さ2.8m 幅15~30cm、正面 関山街道開鑿受難之地と」記されています。
子爵 三島通陽(ミチハル)書ですが、彼は、日本ボーイスカウトの父です。
裏面は 明治13年7/21爆死せる23名の街道受難者50年忌に各方面の賛助を得て浄財の喜捨を広く十方仰ぎ建立す 
 発願者 中里泰雄 協賛会 高崎村 今野久一
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山形側は乱川の大滝不動 滝見ドライブインに大正15年に関山新道開鑿受難の碑があります。
明治13年7/21(1880)今から138年前のこと…
23名の受難者のなかに身篭っていた28歳の大江さださんがいた。休憩していた方のタバコの火により岩石爆破用火薬40箱に次々に引火爆発したといいます。
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早速の急登、ロープが頼り、高差80mを登ると旧道と峰渡りの交差部へつながります。
初めての方は、この急登が応えたでしょうね。右手は峰渡りの最大ブナ、周囲4.5mと計測している。
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峰渡り交差部で、1班リーダー浅井さんの説明。
ここは崩落がありますので登らず100m西側にアルミ梯子がありますのでご利用ください。
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そして、ほぼ水平道を隧道に向かい西へ進みます。
峠道は何パーセントかの勾配をとりますが、峰渡り交差部から旧隧道まではほぼ水平勾配です。
何故、水平なのか??ダイナマイト爆発で亡くなった方々への冥福…??爆心地を避けた理由が新たに出てきました。(浅井さん談)
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やがて、800mにも満たない奥羽山脈の背骨が近づいてきました。関山隧道の真上はかなりのヤセ尾根です。
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隧道前の笹薮がきれいに刈られていますよ。
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1班リーダーから、隧道と関山歴史のはなし、2班リーダーは昨年に続く「関山の怪」のはなし。えっ、参加者から、船形山でも出たって…(笑)
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関山隧道での集合写真。
関山隧道は、明治13年着工(1880)、2年後の明治15年完成(1882)しています。
薩摩藩出身で、山形県令の三島通庸(ミチツネ1835~1888 53才)は、福井藩出身の宮城県令、 松平正直と手を組み?      
東北開発の拠点である日本最初の近代港建設の野蒜築港(明治17台風で壊滅)に連動させる関山道路を造りました。
日本地図を上からみますと、太平洋と日本海を結ぶ一番短い距離であることがわかります。
昭和43年に新関山トンネルが開通しましたがこの間、山形と宮城を結ぶ基幹道路でありました。
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ドイツに留学した三島通庸は学んだ土木技術を駆使して関山道路開通を駆使したようです。
掘削道がノミ、シャベル、ツルハシなどの工具が主とされ、労働者のなかには受刑者も動員されたといいます。
明治2年塩釜横浜間に汽船航路開設し、日本海周りの物流が太平洋側から入るようになりました。
三島は福島にいた内務卿伊藤博文を訪れて談判、6万9420円の全額を国費で出させたといいます。
多いときは1日千人も通過、した関山隧道、冬場は囚人たちにより雪ふみもなされ、隧道脇には宿屋もできた。
この関山に自動車通過するのは大正15(1926)、昭和3年(1928)に天童、仙台間に遊覧バスが走ります。
明治15年  (1882)長284・幅5・高4mにできた道は自動車の出現により、昭和12年7月(1937)長298・幅6・高4m
初期道路の拡張自動車道の誕生します。
岩松旅館でで316m標高は大峠で500mあがり800mとなりますが、関山隧道は  mです。
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1週間前とは葉が出て、花が咲き始めました。
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名所??となったダットサン。
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一旦戻り、交差部手前の梯子を登って峰へ行きます。
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風格あるブナでした。
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樹齢数百年の「大ぶな」。
仙台領遠見記には「坂の下より峠までは登りなりこの中ほどにおおぶなという所ありぶなの木数本あり」と、記されています。
ぶなの寿命は300年…この仙台領遠見記は今から300年前に書かれた。と、いうことは、すでにこの「大ぶな」があったと、思います。
一説には700年も越すぶながあるというのですから、この大ブナは、仙台領遠見記で記されるものと同一と思われます。
幹周り2.33m、堂々とした「大ぶな」です。
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小新川山は端正な姿、山頂標識はまだあるかな。
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東船倉山の山容が素晴らしい。
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1週間前は乗り越えに苦労しましたが…。
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先日の作業で見失ったペンチ、見事船○さんがゲット…有難うございます。
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「やらい張り所」は、探訪ヶ所になりましたよ。
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1週間前には咲いておりませんでした。
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今日の昼飯は、コンビニ仕様です。新わらび、ゴッツオウサマ∠( ^ o ^ ┐)┐ ヨォ…
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山形の北村山郡誌によれば万治3年2代藩主伊達忠宗(宇和島藩主の弟)は、坂下より日向山に道路を開き小屋原に通ぜり
仙台藩にては坂下に番所を設け、山形領には長坂に番所を設けて旅人を検せりと記されています。
また、鎌倉時代初期に存在する関山は、源頼朝の奥州藤原征伐で活躍した大江氏は元久年間(1204~1206)に寒河江の地頭として入部し関山に屯所をおいたと、記されています。
ここで、山頂名ですが、関山という山名はありません。これまで、登米伊達家文書では「大峠」と記されており、山形では前延のとおり「日向山」と記されています。両脇を美女たちがガードしてくれましたよ。
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黒伏山塊を見ながら下山します。
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柴倉山。
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「羽前国覗き所」
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葉山(村山)
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月山
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「いっぷく平」は尾根状のルートで唯一、くぼ地がある。何かありそうな感じですが文献にも見当たらない。
でも、誰しもがここにはなんかあっただろうと…だから、「いっぷく平」。
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浅井さん、熱心に説明です。
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隣のオジサンと会話、「今日の最高齢すか」…「えっ、80歳」…「大変だったでしょう」…「何が」…「んっ」…「太白区から秋保に行って、川崎、蔵王、エコーラインを越えて山形へ走った」…「おっ、凄い」…「何泊でしたか」…「日帰り」…「あぅ」…「15時間でした」…「ギャー」…凄いオジサンがいました。
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乱川を渡渉、ボッチャンしたかたはいなかったかな。??みんな笑顔で達成感のゴールです。
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最近、この標識は山形の行政側で取り上げられているようだ。
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オムレツのような「関山の峰渡り」を振りかえります。
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整理体操をしてマイクロバスに乗り込んだ。
そして、岩松旅館に戻り、コーヒーと団子で話に花が咲き、そして名物の露天風呂に入って帰路につきましたよ。
参加の皆さん有難うございました。
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No title

今年は穏やかに晴れた峰渡りができて、参加者の皆さまも楽しめたでしょうね。
マロさん女性陣に囲まれてモテモテでしたね(笑)

No title

SONEさん
お陰様で、昨年秋の整備作業も効果ありでした。
天気が最高で参加者は満足したと思います。
んっ、七夕様みたいに年に一度のモテモテ…(笑)
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