FC2ブログ

歌手 三宅広一さん

5/14(火)、天気もいいので屋外でラジオ(東北放送ジュンゴさん)を聴きながらギコギコ木工作業は気持ちがいい。
昔の歌は同年代より知ってるつもりだが、…、「んっ、三宅広一」知らないねぇ。「逢いにきましたお父さん」知らないねぇ。そして歌が流れます。
昭和33年に発表された流行歌「逢いに来ましたお父さん」戦死した父が祀られている靖国神社へ息子が訪ねて行く心情を歌ったものです。美しいボーイソプラノで歌うのは、13歳でデビューし、天才少年歌手と騒がれた三宅広一さんは男の美空ひばりとも言われたそうです。
香川県の仁尾町生まれの三宅さんは、昭和62年に舩村徹音楽事務所岡山支社を設立し現在も、倉敷市で作曲家・歌手として活動されています。
もちろん、私は手を休めて聴きほれました。
不朽の名曲です。当時13歳の天才的歌声に唯々感嘆するのみ,この歌を日本人が持てたことが幸せですね。
そして、晩酌しながらウルルン…( ;∀;)聴いてみてください。

https://www.youtube.com/watch?v=qPyT3DBBMxc  少年時代

https://www.youtube.com/watch?v=jn1x8vdoWiY    54年後の三宅広一さん現在



P5150170_R.jpg

検索したらこんなことも出てきました。
① 東大阪市の粟飯原(あいはら)南恵(なみえ)さん71歳昭和19年、当時2歳だっ粟飯原さんは、父親の戦死の公報を受けました。終戦から68年が経った今年7月、粟飯原さんは、戦争で亡くなった父親に逢いたいとマリアナ諸島への慰霊の旅に出ました。その時の事が8月14日の産経新聞に掲載されました。記事によると、戦死した父が眠るサイパン島で粟飯原さんは「逢いに来ましたお父さん」を口ずさんだそうです。粟飯原さんからの手紙には、私はこの歌が大好きです。

② 会社の慰安会で、村田英雄、三宅広一の歌手が来場、当時の三宅少年は15歳(1944年2月生まれ)中学の1年位の少年でした。可愛い少年で当時は特別な衣装でもなくて、村田英雄さんも浪曲師から歌手に変わられて間もない頃でそれほど人気も無い頃で、三宅少年が可愛くて注目を浴びて、唄も上手いので、受けていました。
男子の美空ひばり張りの人気で当時天才少年歌手と騒がれました。
この声(少年時の高音)はしみじみ系の、名作でしょうね。 オリジナルは、どこか美空ひばりを思わせる、歌唱と節回し。現在の動画上の、ダンディな姿とは、なかなか結びつかない。

以上、抜粋させていただきました。

逢いにきましたお父さん(作詞:野村俊夫 作曲:船村徹 昭和33) 
 
1 母さん作った 日の丸べんとう
  一人たべたべ 汽車の旅
  夢でみていた 東京の町を
  地図をたよりに 九段まで
  逢いに来ました お父さん

2 泣き泣き拝んだ 靖国神社
  合わす両手に 桜散る
  待っていたよの たゞ一言を
  聞いてみたさに はるばると
  逢いに来ました お父さん

3 お別れした時ゃ 乳呑児だった
  丁度あれから 十五年
  つらい淋しい 片親そだち
  故郷(くに)のはなしを お土産に
  逢いにきました お父さん

この歌は涙なしでは聞かれない素晴らしい唄です。
三宅広一(みやけ こういち、1944~ )香川県仁尾町生まれの、歌手。昭和31年、文化放送「夢のステージ」で全国優勝。
昭和32年に、日本コロムビアから天才少年歌手としてデビュー。その後10曲以上を発表も、2年間の活動で引退する。
香田晋を発掘し、レッスンを続けてデビューさせた。船村徹同門会理事。ヒット中の演歌歌手、静太郎「冬港」等の作曲家。


maro子も聞きほれていましたよ。
P5140168.jpg

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

FC2USER696672BEO

Author:FC2USER696672BEO
「マロのページⅢ」ブログへようこそ!
やんちゃ姫のマロ子とお山を歩きます。(^o^)

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
カテゴリ
月別アーカイブ
FC2カウンター
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR