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忘れていた亘理の2山

山元町ふるさと学習会が主催します歴史後援会を聞いてきました。
講演者は郷土史家の木村紀夫さんで、「戊辰戦争後の明治新政府と東北への視点」と題して2時間強を話されました。
木村さんはこれが70代最後の講演だといい、最近は三味線を習いはじめ、来る80代からは詩吟を習うというバイタリティー。
戊辰戦争のことは66歳から始め関連図書の発行、各地から引っ張りだこである。
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本日のテーマは
1明治維新と戊辰戦争  2仙台騒擾  3野蒜築港  4関山新道開作 の4点
新たに知ったことを抜粋しますと、
仙台藩最後の13代藩主の伊達慶邦は文久2年(1862)朝廷は勤皇。佐幕の政権争いを収めるために、国内有力9藩に対して公武間の周旋を図り王事に尽くすよう勅を下した。そして10月には14の大藩に下し。この14の大藩の中、仙台藩が2回とも最上位に名指しされている。朝廷の期待は大きく、文久4年には、藩主伊達慶邦に対して宰相(今の首相)昇進の宣下があり、幕府から遣米使節団の総裁職の要請を受けるも、藩論を統一できず何れも固辞したという。
今となっては、何とも惜しい話で、宰相ともなれば戊辰戦争も回避できたのだろうかと…いや、藩論も統一(統率)できないトップには宰相の資格はなかったとみるべきだろうか。
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また、戊辰戦争後は62万石から28万石に減封されたが…藩廃絶(0万石)の危機に、当地城主の大條氏は新政府と掛け合い、藩廃絶の危機から28万石を保ったという出来事も話された。
この大條氏は、NHK歴史ヒストリアでも放映されましたが、宮城を代表する売れっ子漫才の伊達みきおの先祖である。
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このまま帰宅はもったいない。
亘理地塁山地は整備がされる前に4回にわたり歩いたが、整備されてヤブトンネル(獣道)が無くなったということを聞くと寂しい。
夕方まで帰宅することを考えれば取り残しておいた2山を歩くこととした。
コースは、愛宕神社鳥居→愛宕山→水道施設→砂防ダム→ヤブ→胴捨山→逢隈鹿島集落→愛宕神社鳥居である。
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みやぎ里山文庫によれば、亘理地塁山地の支稜が亘理の市街地へ張り出したのが愛宕山で、 国道6号の中心街(消防署)信号から山に折れ、すぐのT字路信号の正面奥に石鳥居が見える。これに従うと、その通りです。(笑)
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 5分ほど歩くと暗い木立のなかに大木が倒壊し、つぶされた社屋が出てきた。
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登山道はハイキングコースの表示板があり山頂に向かい直線路が延びる。
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傾斜が増してくると、2ケ月ぶりの急坂に悲鳴をあげる始末。
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急斜面に息を切らして登ると平に整地された頂上に着いた。高さ2m強の巨大な石の祠。
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これが愛宕神社奥宮、 3坪ほどの基壇も石で組まれている、立派なものである。 
里山文庫によれば… 門前から山頂まで人の気配が全く無い、住宅地に接しているというのに。
 亘理伊達家始祖の成実は政宗を支えた猛将として、二万四千石の大名並みの待遇を受け、藩の南東の重要地を領有した。
 愛宕さんはその鎮守として崇拝を集めたであろう。 山上まであの祠を運びあげた当時の人々の思いー。
 明治維新で亘理伊達家は北海道に移住し伊達市の礎を築いた。 「空き家」になった亘理のその後の経過を愛宕神社の荒廃した姿が雄弁に語っている。所要時間=比高130m 
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みやぎ里山文庫の紹介では山頂往復であるが、北側に通じるコースがあるようだ。
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北には三角点名「鹿島178・4m」の姿が見える。
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水道施設に出る。
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ヒトコマだけ亘理の街並みが見渡せた。
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地図を見て鹿島沢脇の作業道を上る。
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蝋梅の出迎え…季節は冬から春のようだ。
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作業道は鹿島沢沿いに進んでいる。梅の枝を切ってる老人(私も老人だが…)に道を聞いたらここからヤブ漕ぎして作業道に出たほうがいいという。作業道は荒れておりおすすめできるルートではない。進んで二股を右へ進んだ。
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胴捨山山頂へのルートは消えておりは茨の蜜ヤブでした。
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胴捨山 (どうすてやま) 標 高178.4m / 四等三角点(点名:鹿島 )GPSチップが入っていました。
珍しい山名はこうだ。 ふるさと亘理 歴史の散歩道によれば、源義家の軍勢が軍馬の負担を軽くしようと甲冑や胴を捨てて行軍したのが謂れ、戦後しばらくは蓄牛の飼葉の草刈山だそうで、手入れされいた杉林は荒れていおり 山頂からの眺望はありません。
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北側には鍋倉山が見えたが、今日の時間はないのでまたね。
 山頂から峰上を北に向かう踏み跡を辿る。 二つ目の鞍部から東面の荒れた杉林のなかの小路、沢筋は崩壊し足元に気を付けて麓に出た。
里山文庫では、 これが東コースで北鹿島地区集落最奥で牛を飼育している宍戸悟さん宅の脇が入山口になる。 
 ※やはり南コースが無難というが、ヤブ好きなかたはいいだろう。所要時間=30分 比高=120m
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逢隈鹿島に出た。振り返ると胴捨山、のどかな里山も踏み入れると荒れており右往左往しなければ山頂へ着かない現状がある。
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町道をトボトボ、リックを背負ってるから道行く人々は好奇心で見てる…だろう。
掲示板に「えんころ節」の全国大会があるようだ。
半世紀前のことが蘇る…おばあさん(母方)の持ち歌だった。
耳元から「正月二日の初夢に~」聞こえてきた亘理の冬の道であった。
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 正月 二日の初夢に   何より目出度夢を見た
 お斗蔵様の樫の木を   申しおろして船にはぎ
 前なるお池に浮かばせて  金銀のべたる帆柱に
 綾と錦の帆を巻いて     俵に宝を積み重ね
 これの館に ドッコイ    走り込む ショウガエー
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民謡王国宮城の三大祝唄のひとつとして、藩政時代から歌い継がれているこの「えんころ節」、昔から船おろしの祝唄として歌われていた七五調の曲で、新築祝いや結婚式など慶事に欠くことのできない唄です。
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ここ登らなかったな・・

ブロ友さんから案内して頂き、この辺りの山は登ったと思っていたんですが、まだ未踏だったようです。
 お陰様で、また行く機会ができました。
 いいですよね~
 亘理消防署から西側の山並みって。

No title

トシヒコさん
亘理山地縦走路を外れますと幾分か丘陵があります。
里に近いから信仰にもなってるようですね。
ヤブ必須ですが展望がなくともそれなりに楽しいです。
 

No title

そう言えばここではありませんが亘理地塁歩きで「夜打峠」なる場所がありました。
藪でもイバラは厄介です。昨年サイカチ沼から白沢に向かったときに引っかかってひっかってズボンがささくれちゃって(^^ゞ
顔を傷付けないようにしないと。

No title

nadeshikoさん
亘理地塁山地での「夜打峠」なる場所…記憶が…ないなぁ~。
何と、気仙沼には「夜這路峠」なるものがあるらしいねぇ。
よくぞ、こんな峠名にしたもんだね。
私は「余杯峠」で、お酒がいっぱい…とかね。(笑)
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