七ツ森の山頂標識取り替へ(笹倉山)
2020.10・29
七ツ森行脚も今日で最終日を迎えました。
初日は曇天で小雨があったもののその後は秋晴れで作業日和になりました。
取り替え作業も順調に進みトラブルもなく出発を迎えます。
愛犬のマロ子が私も連れて行って…ばかりに目を向けます。
集合場所まで35㌔、昔の職場は5㌔、相当の差だが、行って行ってくるよと4日ばかり…。

七ツ森行脚も今日で最終日を迎えました。
初日は曇天で小雨があったもののその後は秋晴れで作業日和になりました。
取り替え作業も順調に進みトラブルもなく出発を迎えます。
愛犬のマロ子が私も連れて行って…ばかりに目を向けます。
集合場所まで35㌔、昔の職場は5㌔、相当の差だが、行って行ってくるよと4日ばかり…。

気合、気力、体力200%男、監督の敬礼が様になっています。

一礼して入ります。

今までの急斜面のロープ場と比較しましたら何と楽なことでしょう。でも、両肩には相当の重みが食い込んでいます。

亀の子岩で一休み。

画像ボヤケましたが、現代の亀さんになっています。

国見崎では休まず一気に登りますが、離されていきます。

ついに山頂へ到達…いぇ、背負ってみただけですよ。

途中からご一緒されましたSさんも背負ってみました。どこかでお会いしましたかな…あっ、そうだ。あそこだったネ。

18歳の馬力は凄かったね。ご苦労様でした。

テキパキと作業を進めます。

その作業を、遠くから姥神様が見てくれていました。「有難う」って、呟いていましたような…。

最終版はサングラス無しでアップしますど。

国見崎に立ち寄り。

これまで見れなかった展望に皆さん感激。

傍らに大正8年の山神碑が、吉川という名字は中腹の亀の子石の由来にも同じ名字がありましたね。

キノコが無いと思っていましたが、ある所にはある。新鮮なクリタケが…。おっ家内が喜ぶ。

眺子ノ口から見下ろす七ツ森の南川ダム、鎌倉山。

下山口西側に石碑があったので立ち寄る。
帰宅して文献を見ると「大荒神碑」で、」出羽の人、安達正義という刀鍛冶が大森霊泉に刀を鍛錬したという所に立っている。
と記述されている。

七薬師掛け、これまで2回足を運んだ。こなせば色んなドラマが展開される。

ワンチーム、18歳から70代までのチームは与えられた課題を計画通りに達成した。
それぞれが初めて会うのに、不平不満なく、汗だくとなり、筋力の限界に達して目的達成に頑張った。
我人生60有余年、幾度の山旅を味わったが、このような機会は今までにない達成感を味わった。<感謝・感激>

今日はこれまでの6山と比べてラクチンだったかも知れないが、事故防止、安全作業をに配意した。
人生も、下山も、下り坂が注意なんですね。

台ケ森温泉山野川旅館で修了式(感謝)

県中央部に位置する台ヶ森温泉山野川旅館は、江戸時代、半身不随の武士の病を治した伝説をもつ霊泉だそうです。
延宝年間、柴田某なる武士が半身不随の病にかかり、七ツ森薬師に願をかけ、二十一日断食し祈れり。
満願の夜、夢に白髪の老翁が現れ「我は薬師如来なるが、病気平癒する泉を告げん。
台ヶ森なる地に泉あり」翌朝、果たして一つの泉あり。入浴したるに半月にして全治せり。
故に薬師如来を祭り、広く同病者に入浴せしめたるに、一として効なき者なしという。『大日本温泉誌』より摘要

いい風呂でした。
江戸から明治に移り変わるときの戊辰戦争で敗戦の責任を問わされた仙台藩筆頭家老の「但木土佐公」の友人はこの山野川温泉の主だった。
主人にお聞きした。
今回、3日目の遂倉山山頂東側の「髭題目の石碑」、鎌倉山中腹の「髭題目の石碑」は但木土佐公を顕彰しての碑なのか…。
この碑は誰が建立したのかお聞きしたが…。「髭題目の石碑」はもう1カ所あるというが…そのような碑は?次回の課題となった。

今朝もご飯2杯、昼もご飯2杯、若者と同じくらい食べた。食うのも飲むのもまだまだ「一人前を認識」(笑)

名残惜しいが「別れ」があります。
いつかの再開を願い帰路につきました。途中、3日目の山々が見えました。
左の黒矢印は遂倉山、黄色は七ツ森に入らないたがら森、赤矢印は鎌倉山です。

笹倉山は見えなかったけど、「また来る日まで」身近な七ツ森よさようなら。<拝山>


一礼して入ります。

今までの急斜面のロープ場と比較しましたら何と楽なことでしょう。でも、両肩には相当の重みが食い込んでいます。

亀の子岩で一休み。

画像ボヤケましたが、現代の亀さんになっています。

国見崎では休まず一気に登りますが、離されていきます。

ついに山頂へ到達…いぇ、背負ってみただけですよ。

途中からご一緒されましたSさんも背負ってみました。どこかでお会いしましたかな…あっ、そうだ。あそこだったネ。

18歳の馬力は凄かったね。ご苦労様でした。

テキパキと作業を進めます。

その作業を、遠くから姥神様が見てくれていました。「有難う」って、呟いていましたような…。

最終版はサングラス無しでアップしますど。

国見崎に立ち寄り。

これまで見れなかった展望に皆さん感激。

傍らに大正8年の山神碑が、吉川という名字は中腹の亀の子石の由来にも同じ名字がありましたね。

キノコが無いと思っていましたが、ある所にはある。新鮮なクリタケが…。おっ家内が喜ぶ。

眺子ノ口から見下ろす七ツ森の南川ダム、鎌倉山。

下山口西側に石碑があったので立ち寄る。
帰宅して文献を見ると「大荒神碑」で、」出羽の人、安達正義という刀鍛冶が大森霊泉に刀を鍛錬したという所に立っている。
と記述されている。

七薬師掛け、これまで2回足を運んだ。こなせば色んなドラマが展開される。

ワンチーム、18歳から70代までのチームは与えられた課題を計画通りに達成した。
それぞれが初めて会うのに、不平不満なく、汗だくとなり、筋力の限界に達して目的達成に頑張った。
我人生60有余年、幾度の山旅を味わったが、このような機会は今までにない達成感を味わった。<感謝・感激>

今日はこれまでの6山と比べてラクチンだったかも知れないが、事故防止、安全作業をに配意した。
人生も、下山も、下り坂が注意なんですね。

台ケ森温泉山野川旅館で修了式(感謝)

県中央部に位置する台ヶ森温泉山野川旅館は、江戸時代、半身不随の武士の病を治した伝説をもつ霊泉だそうです。
延宝年間、柴田某なる武士が半身不随の病にかかり、七ツ森薬師に願をかけ、二十一日断食し祈れり。
満願の夜、夢に白髪の老翁が現れ「我は薬師如来なるが、病気平癒する泉を告げん。
台ヶ森なる地に泉あり」翌朝、果たして一つの泉あり。入浴したるに半月にして全治せり。
故に薬師如来を祭り、広く同病者に入浴せしめたるに、一として効なき者なしという。『大日本温泉誌』より摘要

いい風呂でした。
江戸から明治に移り変わるときの戊辰戦争で敗戦の責任を問わされた仙台藩筆頭家老の「但木土佐公」の友人はこの山野川温泉の主だった。
主人にお聞きした。
今回、3日目の遂倉山山頂東側の「髭題目の石碑」、鎌倉山中腹の「髭題目の石碑」は但木土佐公を顕彰しての碑なのか…。
この碑は誰が建立したのかお聞きしたが…。「髭題目の石碑」はもう1カ所あるというが…そのような碑は?次回の課題となった。

今朝もご飯2杯、昼もご飯2杯、若者と同じくらい食べた。食うのも飲むのもまだまだ「一人前を認識」(笑)

名残惜しいが「別れ」があります。
いつかの再開を願い帰路につきました。途中、3日目の山々が見えました。
左の黒矢印は遂倉山、黄色は七ツ森に入らないたがら森、赤矢印は鎌倉山です。

笹倉山は見えなかったけど、「また来る日まで」身近な七ツ森よさようなら。<拝山>
